ニューズレター

流れ 2015年11月号 目次

― 特集テーマ:2015年度年次大会(その1) ―

  1. 巻頭言
    (竹村,杵淵,藤井,横山)
  2. 流体機械内部流れ最適化の変遷と近未来への展望
    後藤彰((株)荏原製作所)
  3. ワークショップ:血流の視える化研究(血視研)
    武居昌宏(千葉大),中村匡徳(埼玉大),小原弘道(首都大)
  4. 心臓突然死予防のための「流れ」
    山本匡(北海道循環器病院)
  5. 蚊の吸血機構に学ぶ血球との干渉低減について
    菊地謙次(東北大)
  6. 流れを視る医療用・バイオ用ディスポーザブル型流量計
    中西哲也(愛知時計電機(株))

 

蚊の吸血機構に学ぶ血球との干渉低減について


菊地 謙次
東北大学大学院

 

1.はじめに

 2015年年次大会のワークショップ「血流の視える化研究(血視研)」において,「蚊の吸血機構に学ぶ血球との干渉低減について」の題目で講演させて頂きました.発表の機会を与えていただいた千葉大学の武居昌宏先生,埼玉大学の中村匡徳先生,首都大学東京の小原弘道先生を始め,ニューズレター執筆の機会を与えていただいた流体工学部門広報委員の北海道大学の藤井宏之先生と関連の皆様方にこの場をお借りして御礼申し上げます.本ニューズレターでは,その講演内容に沿って研究内容をご紹介させて頂きますが,通常の学術論文とは異なり堅苦しくならない表現を用いていることを何卒ご容赦ください.

 

2.蚊の腹部貯留血液のふしぎ

 痛みのない採血が実現されれば毎日であっても検査されても良いと思うが,事実採血は痛い.「ベテランの看護士さんのお陰で今回は痛くなかった.」と健康診断の度に強がって言ってみるもののやせ我慢をした偽りであり,本音は一瞬とはいえ痛いものは痛いのである.痛みの少ない極細化した注射針(無痛針)が開発され医療認可後,医療販売まで行われているものの,採血用注射針としての応用例はなく,以前として外直径約0.7mmの注射針が採用されているため採血は痛いのである.なぜ無痛針を採血に適用しないのかと身勝手に憤慨する著者ではあるが,細い注射針は採血に不向きなようである.無痛針を採血に適用すると,普段慣れた注射針と同様に使用してしまうとその内部流れは高せん断流れ場となるため赤血球は溶血してしまうのである.検査に適した血液を得るのには通常数分で完了するが,例えば,内径100 µm,長さ10 mmの針で採血量20 mlで血液を採取すると,低せん断(≦500 Pa)でありかつ最大圧力勾配を0.1 MPaであることを条件とすると,その採血時間は13.6 min となり,細い注射針を採血に用いると一人当たりの採血時間は長引いてしまう.無痛針を実現するには,管内部における圧力損失の低減が必至であるが,ムーディ線図が示すように円管の直径が小さくなることでレイノルズ数は小さくなる傾向にあり,また管摩擦係数(λ=64/Re)は上昇の一途を辿る他ない.しかしながら,蚊の腹部に貯留された血液のうち赤血球を視ると見事なまでに溶血せずに形態を貯留している.筆者はこれまでに,バイオミメティクスやバイオメカニクスの観点から,生き物の持つ優れた機能や形態に注目し研究に従事してきており,その中でも蚊の吸血機能では特に吸血ポンプの形状や運動に着眼してきた.本稿では,腹部における貯留血液における溶血に関する疑問について議論していきたい.管内における血液流れをキーワードに,その管内流れにおける赤血球の干渉を低減するべく,管形状や表面性状についてこれまでの研究成果を交えて紹介していきたい.

  蚊は吸血をした血液を腹部の中腸まで運搬し,消化酵素分泌がピークを迎える(1)吸血後24時間が経過するまで一時的に貯留し,その後3〜5日間かけて血液を消化しながら卵育成を行う.吸血直後の赤血球は中腸内で大きな形態変化もなく,血管内を流動していた時と同様な形状を保っていること(2)から,吸血針や吸血ポンプなどの流動経路内では弱せん断の流れ場にて赤血球が輸送されていることが考えられる.赤血球は,高せん断流れ場(>500 Pa)ではせん断変形によりせん断面へ伸長され,その形態を維持することが不可能になり,赤血球膜の破壊により内部のヘモグロビンは膜外部へと流出し,膜断片となるかヘモグロビンを含有しない球状リン脂質膜(赤血球ゴースト)を形成する.吸血開始時には宿主への吸血針の挿入と同時に唾液を注入し,その唾液に含まれる抗凝固作用によって血液は凝固することなく腹部へと搬送される.唾液の浸透圧は,297 mmol kg-1 であり(3),また血液の浸透圧は一般的に約280 mmol kg-1であるため浸透圧差による赤血球体積の膨潤または収縮については考慮する必要がない.よって,吸血針内部を通過した赤血球が破壊されることなく中腸へと搬送される条件としては,1.針内流れ場が高せん断流れ場に至っていない.2.赤血球が受動的に管軸中心へ移動し,高せん断となる壁面近傍に存在しない. 3.内壁面近傍で摩擦低減となる構造を持つ.等が考えられる.

  本稿では,蚊の針内部の赤血球の干渉低減の可能性として,3つの仮説を元にその可能性について流体工学的アプローチより推察する.


Fig.1 Sucked blood in mosquito’s abdomen (a) Sucked RBCs (b) Normal RBCs (2)

 

3. 検証

  せん断流れ中の赤血球の溶血について,そのせん断応力τとせん断負荷時間tとはFig.2に示すようにτ=212.6t-0.255の関係となる(4).また,蚊の吸血針内部の速度分布は放物分布と仮定でき,赤血球の平均輸送速度は3.8 cm/sであり,針の長さlは1.6 mmであるので,針内部でのせん断負荷時間tは4×10-2 sとなる.図内の近似曲線より,この時の赤血球溶血せん断応力τは483 Paであり,また針内部に作用する平均せん断応力を算出すると29 Paとなる.蚊の吸血における針内の平均的な流速であれば,せん断応力はFig.2内の蚊の吸血における領域を示す通り,赤血球溶血せん断応力を上回ることがなく,針内部での溶血を引き起こす可能性は低いと考えられる.しかし実際には針内部は非定常な流速となり,また瞬間最大流速は平均流速の4〜5倍となるため,蚊の針内部の壁面近傍における壁面せん断応力は150 Pa程まで増加するが.これでもまだ十分に赤血球溶血せん断応力を上回ることはない.また,壁面の素材となっている外骨格は主としてキチン質で形成されており,その表面は外表皮で覆われ,セメント層やロウ層といった炭化水素と脂肪酸エステルの分子鎖とアルコールによってコーティングされており,赤血球の吸着を防いでいる.壁面に赤血球が接着しないためによりせん断力の強い壁面近傍に長時間留置されずに搬送されることが,せん断負荷時間の軽減にも繋がっているものと考えられる.一方,赤血球は高せん断領域である壁面近傍から低せん断領域である軸中心へと移動する集軸効果が生じる(Fig.3).この際,赤血球は壁面近傍から軸中心へと移動するために壁面近傍にはセルフリー層が形成されている.集軸した赤血球に作用するせん断応力は壁近傍におけるそれより小さく,仮に管内をハーゲン・ポアズイユ流れとしてセルフリー層,0.25Dとすると赤血球に作用するせん断応力は半分となり,溶血せん断応力を下回ると考えられる.さらに,蚊の消化器系における内腔表面の細胞層には膨潤した網目構造を持つと考えられ,膨潤網目サイズと摩擦低減との関係(5)により壁面近傍ではせん断力が軽減されているものと考えられる.


Fig.2 RBC hemolysis shear stress vs. Exposure time modified from Baskurt et al(2007)


Fig.3 RBC axial migration in a circular glass capillary with 25 µm in diameter.

 

4. 結   語

 蚊の吸血時の針内部は赤血球が溶血しにくいせん断流れ場となっており,また針内内壁に赤血球が吸着しないことによりせん断負荷時間が軽減され,さらに集軸効果によって高せん断領域である壁面近傍から赤血球は離れ,溶血を免れていると考えられる.また,蚊の消化器系における膨潤体であるため表面の滑り流れにより表面摩擦低減効果を持ち,赤血球へのせん断を緩和していると考えられる.将来,無痛での採血システムが実現されれる際には,蚊の吸血機構のような低せん断環境での吸引や,針内壁への血球の防接着コーティング,または膨潤網目構造による摩擦低減等が活用されることを期待したい.

 

文   献

(1) Jahan, N., Docherty, P.T., Billingsley, P.F., and Hurd, H., “Blood digestion in the mosquito, Anopheles stephensi: the effects of Plasmodium yoelii nigeriensis on midgut enzyme activities”, Parasitology, Vol. 119, (1999), pp. 535-541.
(2) Kikuchi, K. and Mochizuki, O., “Micro-PIV visualization of red blood cells sucked by a female mosquito”, Measurement Science and Technology, Vol. 22, No. 6, (2011), 064002 .
(3) Akaki, M. and Davorak, A.J., “A chemotactic response facilitates mosquito salivary gland infection by malaria sporozoites”, The Journal of Experimental Biology, 208, (2005), pp. 3211-3218.
(4) Baskurt, O.K., Hardeman, M.R., and Rampling, M.W., “Handbook of Hemorheology and Hemodynamics”, IOS Press (2007), pp. 214-215
更新日:2015.11.5