ニューズレター

流れ 2012年9月号 目次

― 特集テーマ:燃料電池の流れ ―

  1. 巻頭言
    (荻野, 大嶋, 玉野)
  2. 軟X線で見る固体高分子形燃料電池内の水分流れ
    津島 将司 (東京工業大学), 平井秀一郎 (東京工業大学)
  3. 燃料電池内部の酸素輸送特性の計測・解析技術
    久保 則夫 (技術研究組合 FC-Cubic)
  4. 供給ガス相対湿度変化時のPEFC非定常発電応答特性
    荒木 拓人 (横浜国立大学)
  5. 次世代型燃料電池開発に向けた内部特性評価シミュレーション
    立川 雄也 (九州大学水素エネルギー国際研究センター)
  6. 固体高分子形燃料電池の物質輸送現象に関する分子動力学的解析
    徳増 崇 (東北大学流体科学研究所)

 

固体高分子形燃料電池の物質輸送現象に関する分子動力学的解析


徳増 崇
東北大学

1. はじめに

  固体高分子形燃料電池(Polymer Electrolyte Fuel Cell: PEFC)はその低作動温度, 高出力密度から家庭用燃料電池, 電気自動車などへの利用が期待されている. このPEFCの実用性を向上させ, 発電システムの小型化, 低コスト化を行うためには, 燃料電池内部におけるプロトン, 酸素, 水などの物質輸送メカニズムを解明し, その輸送量を定量的に把握することが重要である. そのため様々な実験技術によりこの輸送現象の解析がなされているが, 今後の開発期間の短縮や開発コストの低減のためには数値シミュレーションによる予測は必要不可欠である. このような観点から数多くの数値シミュレーションによる解析結果[1]が報告されているが, これらのほとんどが実験事実を定性的にも説明できていないのが現状である. この実験結果と計算結果の不一致は, 燃料電池内部ではガス拡散層(Gas Diffusion Layer: GDL), 撥水層(Micro Porous Layer: MPL), 高分子膜(Polymer Electrolyte Membrane: PEM), 触媒層(Catalyst Layer: CL)がマイクロメーターからナノメーターまでの様々な微細スケールの流路を形成し, その中を物質が輸送されている(図1)ため, 従来の解析で用いられているような通常の連続体理論ではこの輸送現象を正しく予測, 把握することができないことから生じるものである. このようなナノスケールの流動現象を解析し, その特徴を把握するためには, 輸送される物質を構成する原子・分子の挙動に着目した解析が必要である.

  このような観点から, 当研究室では燃料電池内部の物質輸送現象を, スーパーコンピュータを用いた大規模分子動力学シミュレーションにより解析してきた.  特に(1) PEM内でのプロトン・水輸送現象と構造の解析 (2) CL内アイオノマーの酸素透過性能の解析 (3) MPL内ナノ多孔体内の水分輸送現象の解析 について解析を行い, 様々な知見を得た. 本稿では, その概要について紹介する.

図1: 燃料電池内部の物質輸送現象の分子動力学シミュレーション. 燃料電池内部の流動現象はナノスケールの輸送現象に支配される状況が多く存在し,分子動力学法が極めて有効な解析スキームとなる.

 

2. PEM内部でのプロトン・水輸送現象と構造の解析[2]

 本研究ではPEMとしてはPerfluorosulfonic Acid(PFSA)膜を仮定した. 計算系はPFSA分子とオキソニウムイオン, 水分子で構成し, 水分子の数を変化させることで含水率の違いを表現した. 系が最安定状態になるようにアニーリングを施し, 系が最安定状態に達した後, NVE一定のアンサンブルを行い各分子の静的構造因子や拡散係数を解析した. その他詳細については文献2を参照されたい. 図2にシミュレーションの模式図を示す. この図より, 含水率が増加しても溶媒分子は均一には分布せず, PFSA膜内部で明確な水素結合のネットワークを形成していることが確認できる. また, この手法を用いて, PEM内部の水の拡散係数を平均二乗変位から計算し, 実験結果との比較を行った. その結果を図3に示す. この図より含水率が上昇すると水分子の拡散係数が増加すること, また本計算で得られた拡散係数は実験結果[3,4]を非常によく再現できていることが確認された. 含水率が上昇するにつれて拡散係数が上昇する原因について詳細に解析を行った結果, 含水率が上昇するとスルホ基周りの水和殻が厚くなり, そのため水和殻外部の水分子に対するスルホ基からの静電相互作用が弱くなるために, 水分子が自由に動けるようになることが確認された.


図2: 高分子電解質膜内部のプロトン・水輸送現象の大規模分子シミュレーションの様子.高分子膜の分子(緑)とオキソニウムイオン・水分子(赤)が偏在しており,高分子膜内部では水は均一には分布していないことがわかる.


図3: 含水率に対する高分子電解質膜内部の水分子の拡散係数.本研究で得られた拡散係数は非常によく実験結果[2,3]を再現できていることがわかる.

 

3. CL内アイオノマーの酸素透過性能の解析

  本研究ではアイオノマーの酸素透過性能について解析を行った. 以下にその詳細を示す. 計算系は白金表面とアイオノマー, 酸素分子で構成されている. 本研究では白金表面に到達した分子はすべて解離したと見なし, 白金を通り抜けた後に再度上部へ戻すことによって, 系に一定の酸素分子流束を発生させた. PFSA膜は極性鎖1つ,無極性鎖6つの組を5組で1本とし,15本のPFSA鎖でアイオノマーを表現した. また本計算では,含水率を変化させた計算を想定しているため,水分子,オキソニウムイオンはその都度含水率に合わせた数を配置した.このシミュレーションの様子を図4に示す.

  このシミュレーションにより得られた酸素透過数から, アイオノマーの酸素透過能力は含水率が増加するほど減少することが明らかとなり, 含水率が増加するにつれて酸素透過係数が増加するというバルク薄膜の実験結果[5]との相違が見られた. この実験との不一致を調査するために, 分子動力学法を用いてバルク薄膜の酸素透過性能の含水率依存性を調べた. その結果アイオノマーのシミュレーションと同様のポテンシャルモデルを用いた場合でも, バルク薄膜の場合は実験結果と同様, 含水率の増加に伴って酸素透過係数が増加することが確認され, 同一の材料でもアイオノマーとバルク薄膜では酸素透過性能の特性に違いが生じることが明らかとなった. また, バルク薄膜では,含水率が増加するにつれて確かに溶解度係数は小さくなっているが, それ以上に拡散係数が増加するため総合的には酸素透過係数が上昇することが明らかとなった.


図4: 触媒層アイオノマーの酸素透過現象に関する分子動力学シミュレーションの様子.酸素(赤)がアイオノマ−(緑色および青色の膜)を通過して触媒表面である白金(銀色)に到達する様子をシミュレートしたものである.

 

4. MPL内ナノ多孔体内の水滴輸送現象の解析

  本研究では, ナノスケールの隙間を流れる水滴にかかる力を分子動力学法によりシミュレートした. 細孔壁はグラファイトを想定し, 二枚のグラファイトで挟まれる幅Hのスリット型の細孔を設定した. 計算は, まず水を含んだ初期状態から系全体を速度スケーリングで温度制御し, 壁面を一定速度Vで動かして壁から水滴にかかる力を求め, その反力を水滴に与えることにより水滴の重心位置を静止させ, そのときの反力Fを水滴が一定速度Vで移動する際の摩擦力とした. この計算系を図5に示す.

  このような計算を, 細孔幅Hを4通り(10Å, 20Å, 30Å, 50Å)に変化させて行った. その結果, 微細孔の幅が小さくなると固液の接触角が減少する傾向が見られた. また, 接触面積と動摩擦力の関係を調べたところ, 摩擦力の大きさは細孔幅に依存せず, 接触面積に比例する結果が得られた.今後は, さらに大きな細孔でのシミュレーションや, 温度勾配による液滴の輸送現象を解析して, 燃料電池内MPLの輸送現象を支配する要因を調べていく予定である.


図5: ナノ多孔体内部の水滴の輸送現象の分子動力学シミュレーション.表面に対して液滴が一定の速度で進んでいるときにかかる力の,隙間の幅の依存性を解析する.

 

4. おわりに

  燃料電池内部で生じている様々なナノスケールの輸送現象をスーパーコンピュータを用いた大規模シミュレーションにより解析した. これらの結果から実験では解析が困難と思われるナノスケールの様々な知見が得られ, これらの解析は, 今後の燃料電池の高効率化, 低コスト化を実現するための設計指針を与える一助となると考えられる.

 

5. 謝辞

 本研究の成果は東北大学流体科学研究所 徳増研究室の研究員および学生の貢献により得られたものである. 関係者各位に謝意を表す.

  本研究は, NEDOプロジェクト「固体高分子形燃料電池実用化推進技術開発/基盤技術開発/MEA材料の構造・反応・物質移動解析」の助成のもとに行われたものである.関係各位に謝意を表す.また, 本研究の計算のほとんどは東北大学流体科学研究所のスーパーコンピュータシステムを用いて行われたものである.併せて謝意を表する.

 

参考文献

[1] Y. Wang, et al., Appl. Energ, 88 (2011) pp. 981-1007.
[2] T. Mabuchi and T. Tokumasu, ECS Trans., (2012), to appear.
[3] J. C. Perrin, et al., J. Phys. Chem. C , 111, (2007) pp. 3393-3404.
[4] T. A. Zawodzinski, et al., J. Phys. Chem. 95, (1991) pp. 6040-6044.
[5] K. Broka and P. Ekdunge, J. Appl. Electrochem. 27 (2) (1996) pp. 117-123.
更新日:2012.9.3