第93期 部門長からのメッセージ
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学会の最も重要な役割は、論文誌や講演会をとおして学術・技術の交流と発展に寄与することであると認識しています。このうち講演会について思うことを(自分はどうなのだという問題を棚に上げて)書きます。
最近ではかつての名優の歌舞伎を映画館で楽しむことができます。先日、惜しまれつつ2012年に亡くなった18代目中村勘三郎の芝居を映像で観ました。その先代(17代目)は本番で厳しく鍛えるタイプであったそうです。例えば舞台上の小道具を指さし、「あの鉢はどこで買ったィ?」と台本にないことを聞く。江戸時代の商業の知識がなければ答えられません。息子の勘九郎(後の18代目)が苦し紛れに「本所の・・」と答えると、別の物を指さして同じ質問を繰り返され、困り果てたということです。先輩に相談したら、何でも売っていたので「八幡様の縁日で買った」でよいという重宝なアドバイスが得られました。はたして次の舞台で「どこで買ったィ?」のアドリブが飛んできたため、「あれは八幡様で・・」と応じたら、17代目はニヤッと笑って「いくらで?」。単なる笑い話かも知れません(現に筆者は春風亭小朝師の落語のまくらで知りました)が、本質的なことのように感じました。
大学院生が学会で講演する機会が増えました。修士課程はプロとは言えませんが、筆頭著者として登壇する以上、役者が舞台上の大道具から小道具に至るまで意味を熟知していなければならないと同様、講演内容について隅々まで頭に入れておかなければなりません。しかるに、質問を受けても即座に「その点は検討していません」「今後の課題と考えています」と言って平然としている姿をしばしば見かけます。もう少し気の利いた応答はないものかと思います。それらのセリフは、突き詰めた考察に対して思いがけない示唆をもらったとの謝辞であり、安易に使ってはならないのです。また、学生や若手の講演は表彰の対象となることがあるため、共同研究者が口をはさまないことも少なくありません。結果として、冒頭に述べた学術・技術の交流の目的が薄れ、講演会としての魅力が低下しているのではないかと危惧しています。登壇する(本番の舞台に立つ)なら、使用した計測機器や計算方法、さらに結果のプロットの隅から隅まで細心の注意を払って吟味することが前提であるべきです。
流体工学部門講演会では、表彰の候補者には選考のためのセッションと通常セッションで2度の発表をしてもらうことにして、通常のセッションは専門的な討論の場となるように配慮しています。しかし、まだ改善の余地は多いと感じています。昨今どの学会でも会員数の減少問題が議論されていますが、小手先の増員策よりも本来の活動の充実の方が本質的であることは明らかでしょう。当部門に登録されている皆様におかれましては、ぜひ積極的に講演会に参加されるとともに、講演会をはじめとする部門の運営に対してご支援、ご助言をたまわりますよう『隅から隅までズズズイーッと』御願い申し上げます。