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流れ 2012年4月号 目次

― 特集テーマ:水素の流れ ―

  1. 巻頭言
    (荻野,濱川,森本)
  2. 液体水素ピンホール漏えいと微粒化現象に関する融合型コンピュテーション
    石本 淳(東北大学流体科学研究所)
  3. 水素拡散の実験的研究
    井上 雅弘(九州大学)
  4. 高圧水素噴出火炎の基礎特性
    武野 計二(三菱重工業)
  5. 漏洩水素ガス拡散の数値シミュレーション
    松浦 一雄(愛媛大学)

 

漏洩水素ガス拡散の数値シミュレーション


松浦一雄
愛媛大学
大学院理工学研究科

1.始めに

 水素エネルギーの広範な利用にあたっては,貯蔵,輸送,供給,製造や利用の段階で水素漏洩の機会が増大すると考えられ,我々が認識困難かつ僅かな静電気程度でも着火する水素の安全性とその管理手法に関する継続的な検討が必須である.従来,材料自体から漏洩後の対処に至る迄さまざまなレベルにおける安全性の研究が行われてきた. 中でも, ガス状態で漏洩・拡散する水素に対する検討は,直接着火に至る危険性を防ぐものであり,水素脆性やシーリングの不具合,ヒューマンエラーに端を発する着火・爆発といった危機的事態を回避するための安全限界を評価する上で重要となる.システムの劣化やヒューマンエラーが決して無くならない状況を考慮すると,常に水素の漏洩・拡散を想定した対応やインフラが必要である.本稿では,その必須ツールである漏洩水素ガス拡散の数値シミュレーションを紹介する.

 

2.漏洩水素拡散シミュレーションの発展

 水素の家庭用燃料電池や自動車における利用に伴い,1990年代前半から居住空間における水素ガス漏洩やその自然換気に関する研究が徐々に報告されている(1).今日,漏洩拡散シミュレーションは非常に活気がある.浮力噴流(2)や境界層流れといった様々な流れ形態,高圧水素ガス物性,大気状態や化学反応などの物理・化学モデル,非線形偏微分方程式系の縮約モデルや計算の高速化(3)といった数理など基礎的事項から,地球大気システム(4),市街地,水素ステーション,トンネル,ホールウェイ(3,5-6),ガレージや燃料電池システムにおける漏洩拡散,さらにはそれらにおける水素ベント(7-8)など,水素を扱う機械部品,システム,さらにはそれを取り巻く環境全てがシミュレーションの対象となり枚挙に暇がない.シミュレーションの信頼性に関しても,様々なグループが水素やヘリウム流れ等を題材に検証している(6,8,9-10).著者が本シミュレーションに従事し始めた2005年時と比較すると,対象とされる問題の幅,結果の信頼性や文献の数は格段に変化した.水素リスクを評価するという点で,従来の流れ解析とは異なる「数値水素安全科学」が成長しつつある.

 

3.漏洩水素のセンシングに基づく強制ベント制御

 著者が東北大学在任中に,流体科学研究所の中野政身教授および石本淳准教授と共同で実施した,センシングに基づく漏洩水素のベント制御の研究(8,11-13)について紹介する.本研究は,部分的な開口部を有する一方で,密閉度が高く水素が滞留しやすい空間を対象にしている.強制ベントの過程でなるべく漏洩水素を充満させずに排出できるような空間形状を提案した後,センシングに基づく強制ベント制御アルゴリズムを新提案した(12,13).シミュレーションは,米国国立標準技術研究所(NIST)が開発した,Fire Dynamics Simulator (FDS)(14)に本制御法を導入して行った.

  提案する空間は,図1に示すhydrogen inlet,roof ventおよびdoor ventを有し,寸法が2.9 m×1.22 m×0.74 m,常温・常圧環境における,壁に覆われた矩形領域である.hydrogen inletより水素の噴流漏洩が起こり,roof ventから水素-空気混合気の強制ベントを行う.この際,領域下部に設けられたdoor ventより外部空気が空間内部へと取り込まれる.door vent高さHは0.3048 mとした.roof ventは, 複数roof ventの設置に伴うコストを抑え,漏洩位置の変化にも対応するため,天井の中心に設けている.このような空間形状とすることにより,ベント制御と同時に取り込まれる外部空気は,低位置の周方向から取り込まれ,天井に向かう流れとなるため,漏洩水素浮力噴流は安定化し,天井に一時集積した後,roof ventより排出される水素ガス経路となる.空間内には水素センサS1, …, S25を配置し,天井近傍に集積する水素の濃度を測定する.これらの濃度情報より,天井近傍に集積する水素量を評価し,roof ventからの排出量Qexを制御する.

  図2は,図1の空間において,漏洩位置の変化を許容する一方で,先ずは漏洩量Qinと排出量Qexとを固定した漏洩水素拡散シミュレーションによるパラメータ解析の結果である.図中,acceptable regionでスムーズな水素ベントが達成されると同時に,このような領域が広く存在することが,図1の空間における水素ベントの可否を意味している.acceptable regionは右肩上がりの領域となっている.Qex一定の線を引いてみると,想定しているQinの全範囲に対してその線がacceptable regionにぎりぎり含まれるか含まれないかというところであり,それ故,固定流量ベントでは,Qexの設定により,低Qin側或いは高Qin側で上手くベント出来ないことを意味している.水素センサを複数使用し,時々刻々と変化する,天井近傍の集積水素量を推定,Qexを制御することで上記問題を克服することが出来る.


図1 提案する空間(z=0, 0.74 m面下部に部分的な開口部を有する)(12)

 


図2 一定流量Qinで水素が漏洩する際に適切なベントとなる排出流量Qex(12)


図3 水素漏洩量28.3 L/min,漏洩開始25秒後の水素濃度分布に関するシミュレーション結果(左:roof ventとして単に穴を設ける自然換気の場合,右:提案する強制ベント制御法,hydrogen inletからの水素挙動を追跡するため,質量を持たない赤色のトレーサーも同時に表示している)

 

 図3は,水素漏洩量を28.3 L/minと設定した場合の漏洩開始後25秒における水素濃度分布である.roof ventとして単に穴を設ける自然換気の場合,水素が長時間天井近傍に滞留するが,提案する強制ベント制御法では水素がスムーズに排出されている.従来,4vol.%程度の水素なら自然換気で十分と言われることもあったが,自然換気では水素が徐々に排出されると同時に,浮力効果も弱まるので,安定かつ早く水素を排出させる本手法のメリットは大きいと考えられる.

 

4.終わりに

 水素社会を発展させる上で,漏洩水素拡散シミュレーションによる情報が,今後如何に我々の生活に安全・安心をもたらすことが出来るかは挑戦的な課題であると受け止めている.水素特有のリスクを認識することが求められる一方で,水素システムに対する信頼など,水素社会では今まで以上に,言わば「水素結合」によって,流れと我々との関係が密接になると思われる.

 

謝辞

 水素シミュレーションの研究を実施するにあたり,九州大学金山寛教授に御指導頂いた.同大学月川久義特任助教には様々な情報を頂いた.本研究は,九州大学21世紀COEプログラム「水素利用機械システムの統合技術」,東北大学グローバルCOE「流動ダイナミクス知の融合教育研究世界拠点」および,科学研究費補助金・若手研究(B) (22710157)「ラージエディセンシングに基づく水素拡散の認識・予測的リスク緩和システムの開発」の支援により実施された.計算の一部は,東北大学流体科学研究所未来流体情報創造センターの計算機により実施された.それぞれここに記して謝意を表する.

 

文献

(1) M. R. Swain, M. N. Swain, Int. J. Hydrogen Energy, 17(10), 240-247 (1992).
(2) M. F. El-Amin, S. Sun, Adv. Topics in Mass Trans., ed. M.F. El-Amin, INTEC, ISBN: 978-953-307-333-0 (2011).
(3) H. Kanayama, H. Tsukikawa, I. Ismail, Jpn. J. Ind. Appl. Math., 28, 43-53 (2011).
(4) M. G. Schultz, T. Diehl, G. P. Brasseur, W. Zittel, Science, 302, 624-627 (2003).
(5) M. R. Swain, E. S. Grilliot, M. N. Swain, Proc. of the 1998 US DOE Hydrogen Program Review, NREL/CP-570-25315 (1998).
(6) K. Matsuura, H. Kanayama, H. Tsukikawa, M. Inoue, Int. J. Hydrogen Energy, 33(1), 240-247 (2008).
(7) K. Matsuura, Int. J. Hydrogen Energy, 34(24), 9869-9878 (2009).
(8) K. Matsuura, M. Nakano, J. Ishimoto, Int. J. Hydrogen Energy, 34(20), 8770-8782 (2009).
(9) 月川久義,平成22年度福岡水素戦略会議,水素燃焼・安全評価に関する検討分科会,シミュレーション研究分科会 (2010).
(10) D. Baraldi, E. A. Papanikolaou, M. Heitsch, et al. JRC Sci. Tech. Report, EUR 24399 EN (2010).
(11) K. Matsuura, M. Nakano, J. Ishimoto, Int. J. Hydrogen Energy, 35(10), 4776-4786 (2010).
(12) K. Matsuura, M. Nakano, J. Ishimoto, Int. J. Hydrogen Energy, 37(2), 1972-1984 (2012).
(13) K. Matsuura, M. Nakano, J. Ishimoto, Int. J. Hydrogen Energy, doi:10.1016/j.ijhydene.2012.02.034 (2012).
(14) K. McGrattan, et al., NIST Special Publication 1018-5 (2008).
更新日:2012.4.9