流れ 2001年10月号 目次
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水をはじく微細構造
松本壮平 |
1.生物の撥水性表面
ハス,サトイモなど植物の葉には,水滴を球に近い形ではじくほどの高い撥水性を示すものが少なくない.植物に限らず昆虫や鳥などにも,体の表面の一部が水にぬれにくくなっているものは多く見られる.こうした生物の撥水性表面は,油脂など疎水性の被膜を有するほか,微細な突起や毛などで覆われているという特徴をほぼ共通して持っている.
写真1及び2は,サトイモの葉の表面の電子顕微鏡写真である(株式会社クラレホームページ[1]から転載).多角形の細胞が並んでいて,各細胞の中央には突起がある.突起の間隔は約10ミクロン程度,その表面は一種のワックスで覆われている.微細構造によって撥水性を高めた表面の典型的な例といえる.
撥水性のための微細構造の形態には,生物の種類によってさまざまなタイプがある.では,こうした微細構造の形状,サイズ,パターンは,どのように撥水性に影響しているのだろうか.このことは,撥水性の高い表面を人工的に作り出す際にも鍵となる問題である.
2.微細構造による撥水性強化
なぜ表面に微細構造があると撥水性が高くなるのか,という問いに対する説明として,接触角に関するWenzelの理論とCassieの理論がある.
Wenzelの理論は,表面粗さがぬれ性に及ぼす影響を説明する.粗さなどによる微小な凹凸がある面では,平滑面の場合に比べて実質的な表面積が大きいため,ぬれに伴う表面エネルギーの変化が強調される.Wenzelの式では,この効果を用いて,粗さがある表面での接触角を与える.
一方Cassieの理論は,空隙を多く含む固体表面のぬれが対象である.Cassieの式の原型は,ぬれ性の異なる領域が混在する複合表面の接触角を与えるが,空隙に空気がトラップされた表面は,空気と固体の複合表面と見なせるため,同じ式が適用できる.
これらの理論によれば,撥水性を高める構造の条件は,
・微小な凹凸による表面積増加率が大きいこと
・空気をトラップする空隙の面積割合が大きいこと
以上のいずれかということになる.
実際に非常に高い撥水性を示す表面として,フラクタル構造を持つ表面がある.フラクタル構造による表面積増加率は大きく,Wenzelの理論により接触角の増大効果がきわめて高い.例えば,紙製造工程でインクのにじみ防止剤として使用されるアルキルケテンダイマーは,溶融後固化する際に一種の自己組織化作用でフラクタル的な表面構造を持つため,非常に高い撥水性を示す.接触角170度以上という値も報告されている[2].
3.微細構造と接触角ヒステリシス
接触角に関する二つの理論により,「水をはじく表面構造」の条件が示された.ただし,これらは純粋に熱力学的な考察であって,平均化された一様な表面エネルギーを前提としている.実際の表面では,微細構造といっても有限の大きさを持つことから,接触角は理論通りの値にはならない.通常は,ぬれの進み方などに依存して,ある範囲でばらついた値をとる.これは接触角ヒステリシスと呼ばれ,微細構造による撥水性強化におけるもう一つの重要な因子となっている.
接触角ヒステリシスが現れるのは,微細構造が存在することによって,固体表面上を接触線が移動するのに必要なエネルギーが一様でなくなり,準安定な状態がいくつも起こりうるためと考えられる.従って,接触角ヒステリシスの現れ方は微細構造の形状やサイズやパターンに強く依存し,また液体が固体表面上をぬらしながら広がる際の挙動に深い関わりを持つ.
表面構造と接触角ヒステリシスの関係は,いろいろなパラメータが絡んだ複雑な現象であり,系統的に扱うことが難しい.この問題に関しては,Masonらによる詳しい考察と実験がある.その一つの結論は,ぬれが広がる際に液体を導くチャンネルとなるような構造の有無が,実際のぬれ性を大きく左右するというものである[3].
筆者らは,ミクロンオーダーの構造を高い自由度で作成することが可能なシリコン微細加工技術を用いて,各種パターンのサンプル表面を作成し,それらが撥水性に対してどのように影響するかを調べている[4].写真3及び4の電子顕微鏡写真は,作成したサンプル表面の例を示している.それぞれ各辺6ミクロンの柱型構造と,各辺8ミクロンの空洞型構造で,ピッチはいずれも10ミクロンである.垂直方向に深い構造とすることで空気をトラップし,Cassieの接触角に相当する状況となるようにしている.これらの構造は,反応性イオンエッチング装置により,単結晶シリコン基板の表面を深さ約7ミクロンまで非等方エッチングして作成した.この表面に,パーフルオロアルキル基を有する撥水性表面処理剤をコーティングすることで,撥水性表面としている.
写真3及び4に示す二つのパターンは,空隙率が等しいためCassieの接触角は同じ値となるが,実際には写真3の柱型構造が写真4の空洞型構造より大幅に高い撥水性を示す.空洞型構造では,連続した固体領域がチャンネルとなり,ぬれが広がりやすくなっていると考えられる.なお,これらの構造を写真1と比較すると,サトイモの葉の表面構造は明らかに柱型である.
こうした実験を通して,撥水性と表面微細構造の関係を明らかにすることができれば,耐久性や耐候性に優れた撥水性表面の実現に貢献するものと期待される.
4.微細構造と流動抵抗低減
撥水性表面には,水をはじくこと以外に重要な現象として,壁面における流動抵抗の低減効果がある.液体流路の内壁を,微細構造を有する撥水性の表面とすることで,層流域での流動抵抗が低減したという実験結果がある.渡辺らは,各種断面形状直管の内壁を特殊な塗料でコーティングし,水に対する接触角140~150度とした流路を用いて,水の流動抵抗が通常の壁面と比較して約10%~20%減少したとし,速度分布からは壁面ですべりが生じていることを示唆する結果を得ている[5].筆者らは,PTFE多孔質膜表面や,シリコン微細加工技術で作製した柱型の微細構造表面をサンプルとして,回転円錐板型粘度計で流動抵抗を測定し,やはり10%程度の抵抗低減効果を示す結果を得た[6].
こうした抵抗低減が起こるメカニズムは明らかになっていないが,微細構造によってトラップされている空気層が重要な役割を果たしていると考えられる.気液界面で空気が液体に引きずられて流動することで,一種の「見かけのすべり」が起こっているとする解釈である.空気層内の流動様式は微細構造の形態によって大きく異なることが予想される.どのような表面微細構造が抵抗低減に有効なのか,これは今後の課題である.
参考資料
[1]http://www.kuraray.co.jp/live/denken/july_taro/denken_satoimo.html
[2]四分一, 恩田, 佐藤, 辻井, 第47回コロイド及び界面化学討論会, 452 (1994)
[3]Huh, Mason, Journal of Colloid and Interface Science, Vol.
60, No. 1, 11 (1977)
[4]松本, 尾崎, 矢部, 第38回日本伝熱シンポジウム, 329 (2001)
[5]渡辺, Yanuar, 大木戸, 水沼, 日本機械学会論文集B62-601, 3330 (1996)
[6]金子, 長谷川, 松本, 尾崎, 成合, 牧, 矢部, 日本機械学会論文集B66-644, 139 (2000)
▲写真1 サトイモの葉の表面の電子顕微鏡写真 |
▲写真2 サトイモの葉の表面の電子顕微鏡写真(突起の部分を拡大したもの) |
▲写真3 シリコン微細加工により作成したサンプル表面(柱型構造) |
▲写真4 シリコン微細加工により作成したサンプル表面(空洞型構造 |