流れの読み物

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流れ 2002年4月号 目次

  1. トピックス
    色素を用いて圧力をはかる -感圧塗料- 
    浅井圭介(航空宇宙技術研究所)
  2. 第79期流体工学部門講演会の概要
    実行委員会委員長 南部健一(東北大)
  3. 第1回「流れの夢コンテスト」開催にあたって
    第1回流れの夢コンテスト実行委員長 平原裕行(埼玉大)
  4. 関西支部流体工学懇話会(発足前後の私的な回想)
    東恒雄(大阪市立大)
  5. 会告
    第8回流れと遊ぶアイデアコンテスト 
  6. 報告
    第79期各委員会からの報告

 

関西支部流体工学懇話会(発足前後の私的な回想)

▲東 恒雄
大阪市立大学
大学院工学研究科

 唐突ですが,2つの e-mail から始めたい.

 

 e-mailその1(2001年4月5日発信)

日本機械学会関西支部 流体工学懇話会 会員各位

大阪市立大学工学部 東 恒雄

 桜花爛漫.少し花冷えのする今日この頃ですが,皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます. 流体工学懇話会も発足して20年.懇話会発足の世話人代表であられたと同時に,懇話会を通して関西地区の流体工学研究の活性化と若手研究者の育成にご尽力いただきました三宅 裕先生が来年3月に定年ご退官を迎えられます.

 昨年の夏でした.懇話会のあとの懇親会の席上で,「来年には記念の懇話会を」という話が出まして,僭越ながら私が会場等を準備させていただくことになりました.

 もう5年前になりますか,これも懇話会後の懇親会の席でのはなしがきっかけとなり,赤松映明先生が定年ご退官される前年の春に,当時,富山県立大学におられた藤川重雄先生のお世話により,立山のホテルで懇話会が開催されたのを思い出します.

 私としましては時期と会場の設定に随分悩みましたが,学会シーズンが一段落する時期を念頭に置き,また,関西地区の先生方も普段は行く機会が少ない近郊の景勝地ということで,第12?回の話会を以下のように設定させていただきました.

第12?回 流体工学懇話会

日時:2001年11月10日(土)2:00~5:30

会場:高野山熊谷寺(宿泊費:10,000~12,000円,1泊2食付き)

高野山は言わずと知れた高野山で,熊谷寺は宿坊のひとつ.大阪・難波から南海高野線座席指定特急+ケーブルカー2時間とバス15分のところです.例年ですと11月中旬の高野山は紅葉の真っ盛り.翌日は高野山の徘徊,バスで紅葉と景観を楽しみながら龍神スカイラインを経て紀伊田辺までのバスドライブ,あるいは途中,龍神温泉でひと風呂,なども一興かと思います.また,11月10日,11日には高野町の恒例行事「ヴェトロモンターニャ」と名付けられたクラシックカーのパレードが開催され,世界各国からクラシックカーが勢揃いするそうです.

もちろん日帰りも可能です.お暇なときにインターネットで「高野山」,「龍神温泉」をサーチしてみて下さい.

(以下 略)

注)立山のホテルは福井大学 山本富士夫先生が便宜をはかって下さったと聞いている.


 e-mailその2(2001年9月10日発信)

日本機械学会関西支部   流体工学懇話会 会員各位

大阪市立大学工学部 東 恒雄

 今春に一度ご案内させていただきましたが,第125回流体工学懇話会を高野山で開催いたします.ご参加のほどよろしくお願い申しあげます.

 なお,宿泊予約の関係もありますので,出欠のご返事をお願いいたします.春にご返事をいただいている方もお願いいたします.

第125回 流体工学懇話会

日時:2001年11月10日(土)14:00~18:00
会場:高野町中央公民館(熊谷寺から歩いて5分)

1.14:00~14:30
「懇話会設立の頃」 大阪大学 辻 裕先生

2.14:30~15:30[座長 神戸大学 蔦原道久先生]
「柔軟弾性表面および振動表面と流れとの相互作用(動物の遊泳と飛行の模擬実験に関連させて)」 関西大学 大場謙吉先生
15:30~15:50 休憩

3.15:50~16:50[座長 大阪府立大学 木田輝彦先生]
「熱流体力学研究のマクロとミクロのはざまにて」 北海道大学 藤川重雄先生

4.16:50~18:00[座長 大阪大学 辻本良信先生]
「軸流羽根車の失速流れの数値シミュレーション」 大阪大学 三宅 裕先生
夕食(懇親会)
18:30~20:00 高野山熊谷寺
高野山熊谷寺 泊 (宿泊費:10,000~12,000円,1泊2食付き)

11月11日(日)朝食後,自由行動,流れ解散.

(以下 略)


 当日は昼まえから小雨がパラつき,気温も下界より数度下がった.公民館に暖房を入れていただいての懇話会.辻先生とご相談して「設立の頃」は4番目にまわした.お互い気ごころが知れた仲,話題提供と質疑討論は少しづつ時間超過.トリの辻先生がうまく時間内に納めて下さった.懇親会は精進料理をつつきながらのお酒で大いに盛り上がった.司会 井口学先生(北大)の全員一言のご指名があり,その中で幾人かの年輩の先生から懇話会の若年層への代替わり発言があった.三宅先生のお言葉は「研究のもとはMy Question」でした.懇親会終了後,3人の先生が下山されたが,その他は宿泊.翌日の高野山は前日と打って変わって快晴.早朝のお勤め(読経)へ参加して朝食.記念写真のあと解散.ほとんどの先生はお忙しいらしく,高野山奥の院まで徘徊されて下山.残された私一人,クラシックカーに混じって龍神温泉へ向かった.

 懇話会出席者は上記プログラムに記載の先生のほか,稲葉武彦,吉田義樹(阪大),高比良裕之,中嶋智也(阪府大),加藤健司(阪市大),井口学(北大),高野泰斉(滋賀県立大),後藤知伸(鳥取大),植村知正(関西大),杉山司郎,山本正明(大阪工大),西原一嘉(大阪電通大)の諸先生と大学院生3名であった.

 懇話会にまつわる私的な回想

5,6年前だと思うが,会員のある先生から,「東さんは懇話会の申し子やなー」と言われたことがある.言われて,確かにそのとおりだと思った.わたしほど懇話会で栄養をつけた者はいないのではなかろうか.

懇話会は三宅先生のご退官で一つの節目を迎えた.これを機に,私と懇話会との関わりを記憶を頼りに振り返ってみることにする.

私は大阪市大を1966年に卒業して造船会社に就職したが,卒業研究をご指導いただいた先生が福井大学へ転進され,68年にその研究室の助手に呼んでいただいた.その先生のご専門は材料系の分野で,私も金型の応力集中やFRP強度の実験に取り組んだ.それから4年後の72年,縁あって流体工学講座の助手として大阪市大に移った.68年からはじまった「大学紛争」は71年にはほとんどの大学ではおさまっていたが,市大の工学部は訳あって74年頃までゴタゴタが続いた.73年当時,私は助手会の役をしており,新婚旅行を一時中断して「学長会見」のために大学へ帰って来たのを覚えている.

こう言っては叱られそうだが,本腰を入れて流体工学の研究?に取り組みはじめたのは75年,31才の時だった.テーマをいろいろ変えては装置を自作し,卒論学生と実験に明け暮れた.そして,今から考えると幾分ラッキーな面もあったが,J. Fluid Mech. (1964)のE. J. Watsonの論文にヒントを得て行った放射状液膜流れの実験で,層流から乱流への遷移を観察することができた.78年のことだった.

78~80年のあいだ,関西にある国公立大学の流体系の教授の先生方を中心に「関西水力学研究会」があり,各大学持ち回りで研究会が開かれていた.その最後の方で大阪市大が当番に当たり,私も「放射状液膜流れの乱流遷移」について発表した.そのあとの質疑討論で,ある高名な教授の先生から「それは乱流遷移ではないのではないか」とご意見が出され,私は立ち往生してしまった.それとは別にもうお一人,比較的若い先生から,円盤中心から層流境界層が発達するように書いた流れの模式図を見て「よどみ点からすぐに境界層が発達しますか」とご質問があった.話題提供が終わった休憩時間に,わたしはその若い方の先生に,「わたしは,乱流遷移に間違いないと思うのですが」と藁をも掴むように同意を求めた.その先生は横を向かれて,さらに若い先生に,「辻君,あんたの安定性の論文を東さんに送ってあげたら」と言われた.それを受けて辻と呼ばれた先生が「東さん,帰ったら論文を送るから」.これが,三宅先生,辻先生とお話しさせていただいた最初だった(辻先生はすぐに3編の抜刷を送って下さり,その内の一つはその数年後に多いに参考にさせていただいた).話題提供の夜,実験室で水を流しながら,「高名な先生が「乱流遷移」を疑問に思われたということは,ひょっとするとモノになるかもしれない」と,奮い立ったのをいまでも鮮明に憶えている.

1981年の2月頃だと思う.青焼きコピーの手紙が辻先生より送られてきた.1枚は「水力学研究会のあとで屋上屋を重ねるようですが,流体工学懇話会を発足させたい」と書かれた三宅先生の趣意書,1枚は発起人リストで,代表 三宅,幹事 辻,委員 木田,植村,大場,藤川先生となっていた(大阪府大の西岡通男先生も加わっておられたかもしれない).三宅,辻先生を除いて全く面識はなかったが,全員,助教授か助手の先生だった.第1回の懇話会を4月18日に開催するのでご出席下さいとあった.もちろん,私はただちに「出席」の葉書を投函した.

しかし,待ちこがれた第1回懇話会には出席できなかった.16日の午後,大学に父急死の連絡が入った.私は急いで「欠席」の速達を辻先生宛に投函し,父の家に向かった.

第2回以降は皆勤を心掛けた.出席者は毎回20名を超える盛況で,面識のない先生には辻先生が気軽に紹介して下さり,すぐに会員の先生方とはご挨拶させていただく程度にはなった.当時京都大学の赤松先生は特別オブザーバーの形でほとんどの懇話会にご出席で,三宅先生ともども質問をされておられた.「みんな,ものすごく熱心やなー」というのが会員の先生方に対する私の印象だった.

私は,翌年の1月だったと思う,確か第5回の懇話会ではじめて「放射状液膜流れの乱流遷移」について話題提供させていただいた.その時,先生方からどのような質問や意見が出されたかについては全く記憶にないが,おそらく何らかの示唆と勇気を得たのだと思う.夏休みあけに2つの論文を機械学会へ投稿した.私にとっては流体工学分野のはじめての論文だった.そのあとも,研究の内容が自分なりにまとまったと思える段階になると懇話会で発表させていただいた.とくに,LDVで薄い液膜の速度分布を測定したときには辻先生や神戸大の坂口忠司先生から,おそらく努力に対してだと思うが,お褒めの言葉をいただいた.いくつか論文が出た頃に三宅先生が教授に昇任され,これも懇話会の会員の先生の橋渡しをいただいて,主査 森川敬信先生,副査 三宅先生,近江宗一先生で1984年,大阪大学から学位を授与された.とくに三宅先生には学位論文の下書きの段階から懇切なご指導を賜った.

その後も,何度か懇話会で話題提供させていただき,その度にいろんな先生と意見交換をしながら,次第に度胸をつけたのでしょうか,いつの間にか,懇話会で質問をするようになっていた.

もちろん懇話会には別の楽しみもある.年2回の懇親会ももちろんそうだが,懇話会の帰り,藤川,井口,木田,蔦原,山本,杉山先生らとコーヒー,時にはお酒を飲みながら楽しい時を過ごした.まさに私は,懇話会を通して多くの先生方と親交を深めることができたのである.

「東さんは懇話会の申し子やなー」という形容がピッタリだとお思いになりませんか?

 

第125回懇話会参加者(前日に下山された方を除く)

燦燦たる朝日のもとで熊谷寺のご住職にデジタルカメラで撮っていただいた.かなり露出過多.最新のAE機能でも撮し手のアタマはやはり計測外なんですね.

更新日:2002.4