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流れ 2004年8月号 目次

― 特集:流体情報と融合研究 ―

  1. 計算と実験を融合した新しい流体解析手法
    早瀬敏幸(東北大学)
  2. 高級言語としてのウズ
    中村育雄(名城大学)
  3. 流体工学と知識工学
    渡辺 崇(名古屋大学)
  4. 可視化技術への期待:ポストをプレに!
    藤代一成(お茶の水女子大学)
  5. フルードインフォマティクスにおけるデータマイニングと知識発見
    白山 晋(東京大学)
  6. 流れの最適化とソフトコンピューティング
    大林 茂(東北大学)
  7. ニュースレター8月号編集後記
    佐藤 岳彦(東北大学),百武 徹(岡山大学),平元 理峰(北海道工業大学)

 

高級言語としてのウズ


名城大学理工学部
機械システム工学科
中村育雄

1.「ウズ」,「うず」,「渦」

 情報という言葉,..「ことのは」が世に広く使われ始めてからもうかなりの年月が経つ.ところで改まって「情報」とは何だろうかと,手元に有る岩波哲学・思想事典を開くと情報の項の説明の冒頭に,「なんらかの価値のあることを知ったとき我々は「情報を得た」と言う」とあり,これを「情報」という言葉の認識論的な捉えかた,としてある.末尾を見るとこの項の執筆者は,安西祐一郎先生で,先生のお名前は情報工学の分野では認知心理学,人工知能の研究者としてつとに名高い.同先生は現在,慶應義塾大学塾長の要職におられ,慶應大学のホームページを当れば,政府関係委員を始として実に多くの重要な委員を務めておられる.私の手元には同先生の著書があり,それは私が人工知能による流体問題解決に関心を持ち続けているためである.それでは何故,そんなことに関心が有るかといえば,教育のためではなく,自分自身が流体力学の理解に甚だ困難を感じ,その解決の一助として,コンピュータに流体力学,あるいは流体工学,さかのぼっては水力学の問題を解かせることを調べれば困難さの理由が分かり,理由が分かれば理解の困難さが除けると感じたからである.具体的には,名古屋大学の渡邉崇教授が学生のころからLISPをマスターしてこの方向の人工知能研究を手がけて来られた.

 その間にさまざまな難しい点が明らかになってきて当初の目標はまだまだ遥かに霞んでいる.流体力学の理解の困難さを感じたことの一つ,かつ重要な一つが表題の「ウズ」の理解である.助手の頃,大先生方の流れの議論の中に,流れの物理的意味,しばしばphysical meaningと先生方は言っておられた,の説明がこの本には不足している,あるいはこの論文には欠けている,といった御意見があった.あるいは卒論,修士論文の発表者に対する質問に,その結果の物理的意味は何ですか,といった具合に度々「物理的意味」が使われていたのが特徴的で印象に残った.私も質問を受け当惑している学生と同じく,何を答えれば当の質問の物理的意味を説明したことになるのか,理解困難であった.

 当時は冷房を持つ研究室は無く,扇風機が熱い空気をかき混ぜるだけといった感じの夏休みには,先生方はしばしば実験室に集まり,半日を様々な談論,議論に過ごされた.その談論風発を傍らで伺っているうちに「流れ場の物理的意味が説明できる」,というときの一つは簡単に連続則,運動量則,ベルヌイの定理,あるいは剛体渦,自由渦の性質を使った定性的な議論ができる場合に「物理的意味が分かった」と表現されるらしい,と感得した.Rosenhead の編纂した,Laminar Boundary Layersの有名な第一章はLighthillの担当で,これを理解に苦しみながら読んで,ここでは渦糸の誘導速度場,渦糸の運動を使って流れ場が説明できる,という場合に物理的に流れ場が説明できるとしていると感じられるようになった.


2.渦の意味

 しかし,流れ場に渦が有るか無いかは主観的なものである場合が多く,しばしば学会発表で議論の対象となる.特に乱流の場合はそうである.発表者はここに渦が有ると主張し,質問者はそれは渦ではないと反論する場面に私が出くわしたことは一再ではない.このような情況で取られる態度は二つに分かれ,最早,渦などという言葉に拘っても仕方が無い,それより測定数値と計算結果の一致について議論すべきである,というものと,いや,渦という概念,意味する所についてもっと検討すべきである,という態度の二つである.前者は定量派,後者は定性派と名づけられよう.この二つの態度は渦の問題に限られず,多くの物理現象に対して取るべき認識論的態度の選択に関係している.前者の代表の一人は物理学者のFeynmanである.あるいは古くはMachやKirchhoffである.しかしMachは後者の代表でもあるように思われる.というのは,彼は思考実験のさまざまな例を上げ,その重要性を説いている.そして思考実験には数値的な量を入れることは普通,困難である.

 マスコミが極度に発達し,地球上のあらゆる場所での事件が発生と同時に世界中に伝達される時代である.そんな時代なのに流れの中の渦の自動同定は,情報理論のパターン認識の範疇に属し,多くの議論の的である.まして,「笑渦」「わらひのうず」「笑いの渦」「情報の渦」などとなると何を指すのか,コンピュータに教えるのは容易ではなさそうである.手元に情報処理学会誌,「情報処理」2002年7月号が有る.特集はセマンティックWebである.「ことのは」を二つに分けるのは早くギリシャに見られる.かの哲学者達は言葉をその意味する所のもの,セーマイノメノンと言葉の音韻,ポーネーに分けて論じている.英語のsemanticはもとよりこのギリシャ語に語源を持ち,ランダムハウス辞典では1655年頃,英語に入ってきたとあるから,江戸時代上期に当たり,英語化したのは新しい.音韻のphoneticは英語化したのが更に新しく,まずギリシャ語からラテン語へ,更に英語には近代ラテン語から1826年頃入った,とあるから江戸も下期になっている.

 私の目はその特集ではなく書評に行った.20世紀の名著名論の一つとして,Hofstadter"Gödel,Escher,Bach: an Eternal Golden Braid"が取り上げられている.評者は野崎昭弘氏である.そして,同著の最後に,「もつれた階層の渦」について「この渦は,人間の心がどう働くかを理解しようとするあらゆる企ての焦点にくる」と語られていることが紹介されている.私も同書の翻訳は読んだが原文は知らないので,この渦が英語でvortexなのかeddyなのか,興味が有る.vortex ならラテン語由来で1652年頃,英語化したのでやはり新しい.eddy はTownsendの名著"The Structure of Turbulent Shear Flow" に繰り返し現れる重要な言葉であるが,これは英語固有で,古期英語の回転と水の意味の二つの「ことのは」から出来上がっている.



3.高級言語

 「うず」は児童に川面の渦を指差して教えれば一度で理解する「ことのは」と思われる.生物としての人間はKolmogorovによれば<<合目的に作用する>>存在である.これは自己を破壊的な外部作用から防御する能力と,自己を複製する能力を含む.両者は纏めて広い意味で生物が安定的な存在であることを意味する.個物は死んで破壊されてもDNAが子孫に存続すればそのDNAは安定して存在する,といえよう.このように子供の言葉の始源的能力は自己破壊力から防御するのに必要な段階から発達する.渦を理解した子供は渦巻く川で泳ぐことは危険であると察する.察しない種の子供は絶える確率が僅かでも高いであろう.この子供の「渦」は生物学的価値,つまり情報である,と「もつれた階層の渦」との間には人類進化史の数十万年,あるいは百万年のオーダーの年月が横たわっている.高級言語,「もつれた階層の渦」の価値は何であろうか.確かに,川面の「渦」を知り,言語で使用することはMachのいう思考経済になり,Kolmogorov複雑度K(x)を小さくし,限定された資源の脳に余裕をもたらし,その分,新たなことを理解できるようにしてくれるであろう.これは大変重要なコスト低減の効果であるが,「もつれた階層の渦」はどうであろうか.これを理解するには16年の学校教育を必用とするであろう.この16年間には知識の吸収のみならず,多くの喜怒哀楽がありそれが人間の成長を助ける.その意味のコストの測度が果たして見つかるだろうか.

更新日:2004.8.24