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流れ 2009年4月号 目次

― 特集テーマ: 流体工学により解明される自然界,そこから生まれる新技術 ―

  1. トンボ型飛翔ロボットの研究開発
    磯貝 紘二(日本文理大学)
  2. 羽ばたきとオートローテーションにおける流れ
    望月 修(東洋大学)
  3. 工学から視た海と流れ
    加藤 直三(大阪大学)
  4. スッポンの泳ぎから理論的に導かれた最速泳法
    伊藤 慎一郎(工学院大学)
  5. 計測融合シミュレーションによる血流解析
    船本 健一,早瀬 敏幸 (東北大学)
  6. 数値流体解析による長大橋梁の空力と振動の予測
    石原 孟(東京大学)
  7. 編集後記
    平田 和也(荏原製作所),咲間 文順(パナソニック),繁永 康 (日立製作所)

 

スッポンの泳ぎから理論的に導かれた最速泳法


伊藤慎一郎
工学院大学

 スッポンの泳ぎから最速泳法?何のことだと思われる方も多いと思われる.スッポン泳法は筆者がスッポンの泳ぎを観察し理論的に生み出した最速の自由形泳法の俗称である.


Fig.1 スッポン

  生物の動きは大きく分けて最大速度運動と最大効率運動の2種類に大別できる.前者は餌を捕まえるとき,敵から逃げるときの必死の移動動作である.後者は平常時の運動であり,エネルギ消費が最も少ない動作である.人間の移動動作に当てはめるなら,全速力の走りが最大速度運動であり,普通の歩きが最大効率運動に相当する.Fig.1に示すスッポンは河川や湖,池沼等に生息する沼亀達と同様の亀の仲間であるが,殆ど水中で生活するために泳ぎに適した形状になっている.手足にはヒレがつき,甲羅は薄く扁平で,いわゆる流線型をしている.そのスッポンは最大速度運動では1秒間に体長の約2倍の速度で泳ぐ.100m自由形の世界記録は身長189cmのオーストラリア,イーモン・サリバン選手による北京五輪での47秒05であるから,この場合毎秒体長の1.12倍のスピードとなる.スッポンが人間と同じ身長ならば,そしてオリンピックに出られるならブチ抜きの1位ということになる.

  筆者らは観察したスッポンの泳ぎを数式化し,速度,エネルギ等を計算してみた1).計算によって得られた最大速度運動(最大推力運動)と最大効率運動は,それぞれが観察結果の動きとほぼ一致したのである.同じ数式を使って人間の自由形泳を計算すると,同様に最大速度運動と最大効率運動の結果と動きが得られた2)

  パドルとしてのスッポンの水かき付きの四肢,人間の手のひらを翼とすると,それらの翼特性は翼型と翼平面形状に依存し,それらがその計算結果に影響する.そしてその翼特性を表すものが抗力と揚力の二成分であり,泳ぎ方の違いに影響を与える.

  計算で得られた最大効率運動は現在の自由形の基本であるS字泳法(手のひらを身体に対してSの字を描く泳法),Fig.2(a)を示した.これは主に揚力を利用する泳ぎである.2002年当時の自由形競泳選手の主流泳法はS字泳法であったので,当初,筆者には最大速度運動 とならなかったことが意外であった.

Fig.2(a) 自由形の一般的なストローク
手のひらは身体から見るとS字を描いているため,
S字プルと呼ばれる.(最大効率運動)

Fig.2(b) 最速,スッポン泳法のストローク

手のひらは進行方向軸に直角にそして,
ほぼまっすぐに動かす.I字プルと命名.(最大速度運動)

  一方,Fig.2(b)に示す計算で得られた最大速度運動は,筆者がこの泳ぎを世界に発表した2002年当時,破竹の勢いだったイアン・ソープ選手の泳ぎ方と見事に一致した.こちらの泳ぎは抗力を主たる推進力として用いる泳法である.今やストローク数が少ない泳ぎは北島の金メダルの平泳ぎでも有名になったように,競泳では半ば常識の泳ぎとなっているが,当時は,他の泳者に比べると彼のストローク数は少なく,ゆっくりと泳ぐのになぜか速いという不思議な泳ぎ方であった.ストローク数はプロペラの回転数に相当する.常識的には速度を増すためにはプロペラの回転数が増やすが,ソープ選手はその逆を行っていたのである.それを行うには,1ストローク当たりの推進力を増やすことによって実現できる.手のひらからの推進力の発生機構の違いで,S字泳法は水を斜めに切るようにして揚力を得るのに対し,スッポン泳法はFig.2(b)に示すように水をまっすぐに押しこみ,抗力を主の推進力としているところが異なっている.これを筆者はその形からあえてI字泳法と名づけている.

これらの泳ぎを側面からの実際の映像を分解したものは,それぞれFig.3(a)(b)のようになる.S字泳法を示すFig.3(a)は腕の運動が回転運動であることがわかるが,I字泳法を示すFig.3(b)に示すイアン・ソープの分解映像においては,前腕部が側面図からみると平行のように動き,また手のひらと前腕部は同一直線で動かし,それらを大きなパドルとして大きな面積で推進力を産み出していることは注目に値する.

Fig.3 (a) S字泳法 Fig.3 (b) I字泳法

Fig.3  S字泳法と I字泳法の分解映像
Fig.3(a)2000年全日本選手権1500m決勝参加者の泳ぎである.S字プル泳ぎはキャッチ部分において肘が伸びていることがわかる.Fig3(b)はイアン・ソープの分解映像である.腕入水直後の瞬時の肘曲げ後,そのまま後方へ動かす抗力泳ぎを行っている様子がわかる.

(a)は2000年全日本選手権1500m決勝参加者の泳ぎである.S字プル泳ぎはキャッチ部分において肘が伸びていることがわかる.(b)はイアン・ソープの分解映像である.腕入水直後の瞬時の肘曲げ後,そのまま後方へ動かす抗力泳ぎを行っている様子がわかる.

  長年S字泳法が現在の自由形の常識になった理由は,「S字泳法は無駄のない泳ぎ(最大効率)」→「達人の泳ぎ」→「達人=競泳選手」との3段論法の発想がバックグラウンドにあったからだと思われる.

  その後,筆者らの実験3)では生理学的にもスッポン泳法は200m以上の距離では,選手の持つ最大速度80%以上になると疲労物質(乳酸)の蓄積が少なく,競泳には有利であることが確かめられた.北京五輪では低抵抗水着の登場により泳法の変化には着目されなかったが,今や自由形のみならず他の競泳競技種目も揚力泳法から抗力泳法へと主流が移ってきている.

  人間は理性があるがゆえに,本能本来の動きを変えてしまった.競泳のみならずスポーツではもう一度,本能の動きに立ち戻ってみるべきではないだろうか.

参考文献

1) ITO, Shinichiro, AZUMA, Akira, 2001.9, Analysis of Thrust Performance for Paddling Locomotion, Theoretical and Applied Mechanics, 50, pp.217~p.280., University of Tokyo Press.
2) ITO, S., Okuno, K., 2003.6, A Fluid Dynamical Consideration for Armstroke in Swimming, BIOMECHANICS AND MEDICINE IN SWIMMING IX, pp.39~44, Pub. de l'univ. de Saint-Etienne.
3) S. Ito , T. Matsumoto and D. Abe, 2008.3, A Difference of Blood Lactate Level in Freestyle Swimming between S-Shaped and I-Shaped Stroke, Books of Abstracts, the 1st International Scientific Conference of Aquatic Space Activities, (Tsukuba, Japan), p.58, CD-ROM pp.358-361.
更新日:2009.4.8