流れ 2012年9月号 目次
― 特集テーマ:燃料電池の流れ ―
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軟X線で見る固体高分子形燃料電池内の水分流れ
津島将司
平井秀一郎
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1.はじめに
固体高分子形燃料電池(PEFC)は低温(80ºC程度)で作動し,迅速な起動停止を実現できることから自動車用動力源や家庭などの小型分散用電源として研究開発が進められている.固体高分子形燃料電池では,図1に示すように固体高分子膜を触媒付きの多孔質電極(ガス拡散電極と呼ばれる)で挟み,それぞれに水素と酸素(空気)を供給する.アノード側(水素極)とカソード側(酸素極)で自発的に進行する電気化学反応によって電子が外部負荷を通過し,発電する.酸素極で生成する水分が多孔質電極内で凝縮,滞留すると反応ガスの輸送が阻害されて電池性能が大幅に低下するため,すみやかな生成水の排出が求められる.そのため,発電時のPEFC内の水分輸送現象の基礎的解明と制御手法の確立が強く求められている.そのために重要なのが可視化技術(1-4)であり,我々のグループでは,発電中のPEFC内の水分のin situ(その場)計測に着目した研究を進めている(5-10).本稿では,我々のグループが開発した,軟X線を用いて“燃料電池内の液体水の流れ”をin situ(その場)可視化する技術,について紹介する.
2. 軟X線によるミクロイメージング
“燃料電池内の液体水の流れ”をin situ(その場)可視化するためには,物体内部の状態を非侵襲で可視化する必要がある.非侵襲可視化技術,の代表的なものとしては,X線,磁気共鳴断層撮影(MRI),そして大型施設ではあるが,中性子線や放射光の利用などが考えられる.我々のグループでは,実験室に設置できる計測システムとして,X線可視化に着目し,特に,軟X線と呼ばれる低エネルギー領域のX線による“燃料電池内の液体水の流れ”のin situ(その場)可視化技術の開発に取り組んできた.
X線は波長10 nmから0.006 nm(エネルギー120 eVから225 keV相当)の電磁波である.一般のX線撮像システムにおいては100~225 keVのエネルギー領域が用いられている.この領域においては,計測対象物によるX線の吸収は対象物中に含まれる元素の質量数とともに増大する.すなわち,水素原子や酸素原子よりも金属原子による吸収が支配的になるため,PEFCにおいては触媒として用いられる白金ナノ粒子による吸収が大きく,液体水によるX線吸収量の変化はわずかとなり,燃料電池内の液体水の変化をとらえることは困難である.ところが,エネルギー領域が10keV以下(軟X線と呼ばれる)になると軽元素の吸収係数が急激に増大してくることが知られている.この領域のX線を積極的に利用し,かつ,高空間分解能を実現するために構築された撮像系((株)東研,TUX-3110FC)を図2に示す.収束電子線を金属薄膜ターゲットに照射して放射状に広がるX線を生成する.計測対象物をX線源に近接させ,透過X線の受光系を離れて配置して幾何倍率を稼ぎ,図3に示すように空間分解能0.5µmを達成している.燃料電池内の液体水のin situ可視化においては,図4で示すようなX線源に極力近づけることが可能なセルを設計・製作し,実験を行っている(5-10).
Fig.1 Schematic of a polymer electrolyte fuel cell
Fig.2 Schematic diagram of soft X-ray instrument.
Fig.3 Visualization of a test chart by soft X-ray instrument.
Fig.4 Polymer electrolyte fuel cell designed for soft X-ray visualization.
3. 燃料電池内の液体水の流れ
PEFCの水分制御には,微細孔層(Micro Porous Layer, MPL)を挿入する手法が広く用いられている.微細孔層は,図5に示すようにガス拡散層(Gas Diffusion Layer, GDL)の表面に付与された疎水性の多孔質層であり,PEFCにおいては,触媒層と隣接した位置に設けられる.
MPL付GDLを用いたPEFCを計測対象として,軟X線透過撮像を行った結果を図6に示す.軟X線の吸収の違いにより,PEFC内のGDL,MPL,触媒層,電解質膜が空間的に判別できていることが分かる.図7に図6の実線で囲んだ領域の信号強度変化から求めた発電状態のPEFCにおける厚さ方向のMPLとGDL内の液水分布を示す.電流密度0.20 A/cm2では液水はほとんど観察されず,0.60A/cm2において,時間経過とともに液水がMPLとGDL内で観察された.液水は触媒層に近い領域は少なく,リブに向かって多く滞留していることが示された.さらに,MPL内の液水の流れについて詳しく観察すると,図8のように,MPL内のマイクロクラック(微小き裂)から液水が排出される様子が捉えられた.このとき,液体水は触媒層側から流入し,MPL内を空間的に広がりながらGDL側への流出する経路が形成されていることがわかる.図9(a)は図6のMPLに対応する空間領域を膜面方向に触媒層側から領域1, 2, 3と分割し,それぞれの領域の液水分布の時間発展を示したものである.MPL内に数か所の液水量が多い場所が存在することが見て取れる.これらは液水輸送パスとして機能していると考えられ,触媒層側からGDL側へ向かって液水量が増加していることがわかる.図9(b)はMPL表面を観察した電子顕微鏡画像であり,前述の液水輸送パスとマイクロクラックの位置がよく一致している.このようなMPL内に多数存在しており,これらのクラックが燃料電池内に液体水の流れにおいて重要な役割を示していることが軟X線可視化計測から明らかになった.
Fig.5 Scanning Electron Micrograph of a MPL-coated GDL
Fig.6 Visualization of PEFC by soft X-ray radiography
Fig.7 Liquid water distribution in the cathode MPL and GDL under fuel cell operation.
Fig.8 Liquid water discharge behavior through a crack in MPL in an operating PEMFC
Fig.9 Liquid water distribution in the MPL and corresponding SEM image.
4. まとめ
本稿では,我々の研究室で取り組んでいる軟X線を用いたPEFC内液体水のin situ可視化について紹介した.従来のX線領域ではなく,軟X線領域を利用し,幾何倍率を増大させる光学系を構築することで,従来,把握することが困難であった液体水の高空間・高時間分解能可視化を実現した.これにより,PEFCの水分制御層として挿入されるMPL内における液体水の滞留ならびに排出挙動についての考察が可能となり,高電流密度域において液体水が滞留し,MPL内のマイクロクラックが液水輸送経路として重要な役割を担うことが示された.特に,自動車用途などにおいてPEFCは高出力密度化が求められており,液体水の効率的な排出という観点からは,このようなマイクロクラックの形成を能動的に制御した材料開発を進めることで,反応ガスの輸送パスと液水輸送パスを空間的に分離して設計することも可能であると考えられる.今後,軟X線を用いることで,従来は明らかにできなかった燃料電池内の流れを可視化し,PEFCの高性能化に向けた知見が得られるものと期待している.
5. 謝辞
本研究の一部は,NEDOからの委託をうけて実施したものである.燃料電池内液体水の軟X線可視化システムの開発は,マース東研X線検査株式会社の協力を得て行ったものである.軟X線の燃料電池計測への適用は,日産自動車株式会社 篠原和彦氏らの先駆的な取り組みから発展してきたものである.関係各位に謝意を表する.実験結果は,東京工業大学大学院理工学研究科 平井・津島研究室の研究員・学生諸氏の熱心な取り組みにより得られた成果であることを記し,謝意を表する.
文献