流れ 2012年9月号 目次
― 特集テーマ:燃料電池の流れ ―
| リンク一覧にもどる | |
供給ガス相対湿度変化時のPEFC非定常発電応答特性
荒木拓人 |
1. はじめに
地球温暖化問題や震災などの影響からエネルギー問題への社会的関心は高まっており,その中で熱機関と比較して特に小規模システムで効率が高く,水素等を介することで自然エネルギーとの親和性の高い燃料電池は注目を集めている.その中でも固体高分子形燃料電池(以下PEFC)は比較的低温から作動し,小型化が可能であるため,自動車用や定置用小型分散型電源等への応用が期待されている.2012年現在,PEFCを搭載した製品の販売は一部で開始されているが,普及に向けての課題はいまだ多く存在している.
その課題の一つがPEFC内部の水分管理である.水分輸送は,電池性能低下の主要因となる抵抗過電圧や活性化過電圧に大きな影響を及ぼし,電池性能を向上させる上で重要な要素のひとつとして考えられている.しかし,高分子膜中(PEM)では,プロトンの移動に伴う電気浸透や水分の濃度勾配による逆拡散,ガス拡散層内や流路内では,水分の凝縮や蒸発が起きており,図1に示すようにPEFC内部の水分輸送メカニズムは非常に複雑である.ただし,これまでに電気浸透係数,拡散係数などの水分輸送特性が検討され,定常状態の特性についてはある程度把握が進んできた.しかし,実際の運転時に起こるような非定常状態の水分輸送特性に関する報告はほとんどない.
そこで,本研究グループでは実験と数値解析を連動させることで,PEFCを構成する各要素で起こる物理現象,特に水分輸送が発電応答に及ぼす影響を定量的に検討することを目的とした研究を行っている.ただ,実際の稼動時に起こる非定常応答は負荷変動が一般的であるが,複雑に絡み合う現象を切り分けるのは容易ではない.そこで本稿では,まずは水分輸送特性による影響のみを考察するために,アノードとカソードの供給ガス相対湿度のみを変化させた時のPEFC非定常発電応答を実験と数値解析を用いて検討したのでご紹介する.
Fig. 1 The outline of mass transport phenomena inside PEFC
2. 測定手法と数値解析手法
測定に用いた装置は一般的なPEFC試験装置と大きな違いは無いが,供給ガス加湿を瞬時に変化させるために,アノード,カソードそれぞれ加湿器を二台ずつ用意し,セルの入口の配管に四方バルブを用意した.また,実験条件としては,供給加湿度は20%から60%,電流密度を0,1A/cm2と,液水の滞留の少ない比較的乾燥した条件としている.
PEFC内の流れ解析自体は,レイノルズ数にして10程度でほぼ層流とみなせるためそれほど複雑ではない.ただし,酸素,水素,窒素,水蒸気,液水,水素イオンなどの多成分を扱うこと,電子伝導のための等価回路を考慮に入れる必要があること,酸素濃度やイオン導電性などによって変化する反応電流密度分布を考える必要があることなどから,すべてを非定常状態で考慮することは簡単ではない.そこで,計算負荷を軽減するためにPEM‐(ガス拡散層)GDL界面に存在するマイクロポーラスレイヤー(MPL)と触媒層は界面として扱い,界面の物質輸送には総括物質輸送係数ベースの簡易モデルを用いるなどの簡略化を施している.
3. 実験・解析結果
図2の上のグラフに供給ガス相対湿度を60%から20%の乾燥方向にステップ的に変化させたときのセル電圧応答と膜抵抗応答の実験結果と解析結果を示した.横軸が経過時間,縦軸がセル電圧と膜抵抗を示しており,それぞれ赤のプロット点が実験値,黒の実線が解析値である.実験結果と数値解析結果を比較すると,数値解析の定常値(0.0s以前,50s以降)は実験値に比べて膜抵抗値は10mΩ程度,セル電圧は実験値と解析値には0.02V程度の差があるが,これは膜の劣化など実験のばらつきの範囲内であり,定常値に達するまでの変化の傾向や時定数は良く一致している.したがって,本数値解析手法の妥当性が確認できたと考えている.
より詳しく水分輸送特性に関して検討するために,図2の下半分に,0,1.0,50sでのセル全体の水分濃度分布の数値解析結果を示した.横軸は供給ガス流れ方向であり,縦軸下側がカソード,上側がアノードである.上下中央の横方向の帯は,高分子電解質膜(PEM)を表すが,PEM中の水分濃度は気相中の水分濃度の約103倍程度高く図中に表示しにくいため,PEM中の水分濃度には気相平衡濃度を用いた.カソード側の水分濃度が高くなっているのは,PEFCの電池反応はカソード側で行われており,カソード側に多くの水分が排出されるためである.
Fig. 2 Voltage response and water vapor concentration contours
after stepwise supplied gas humidity change
さて,下中央の1sの図を見ていただくと,channelやGDLではほとんど緑色になっており,1sの短時間にGDL内の水蒸気濃度が低くなっていることが見て取れる.実際に,流路をガスが吹き抜けるのに要する時間は,本研究の条件では,流速と流路長さから0.1sのオーダーで変化すると計算できる.しかし,図2上のグラフではセル電圧,膜抵抗ともに1sではほとんど変化しておらず,定常に達するまでには数十秒オーダーの時間がかかっている.つまり,供給ガス相対湿度変化のセル電圧応答時間に関してはガス種の輸送は支配的ではないと考えることができる.では,律速となる要因は何であろうか.電気二重層をはじめとした電気的な要因も考えられるがこれらの変化もサブ秒オーダーである.そこで,もう一度1sの図を見ていただくと,流路,GDL内の各ガス種輸送はほぼ定常に達しているが,PEM-GDL界面に水分濃度勾配が集中していることがわかる.前述の通り,本研究の数値解析ではこの界面の輸送抵抗は総括物質輸送係数を用いており,現実にもPEM-GDL界面には触媒層やMPLが存在し,拡散抵抗にはなっている.しかし,触媒層はおよそ10μm,MPLも20μmと薄く,GDL基材の200μmと比較すると合計でも1/7程度の厚さである.そのため,触媒層やMPLの空隙率が0.1程度と低いことを考慮しても,GDL基材の1秒以下に対してこれらが何倍も大きな時間遅れを生じさせることは考えにくい.そのため,PEMと水分界面の物質輸送抵抗そのものが時定数に大きく影響していると考えられる.
4. おわりに
本稿では,液水の滞留が無く,全体の負荷電流が変動しない条件では,固体高分子膜(PEM)表面の輸送抵抗が電池全体の応答時間に大きな影響を及ぼすといった,燃料電池内の物質輸送現象と発電特性との関係をご紹介した.ただし,今回ご紹介できたのはPEFC内の物質輸送現象のほんの一部であり,現実の運転条件ではこれからさらに液水の輸送や蒸発・凝縮,さらには温度変動などを考慮する必要がある.我々の研究グループでもこれら液水輸送や温度特性に関する研究を継続しているが,とても全容が解明されたとは言えない状態である.本稿では,拡散や反応に関する説明ばかりで流体力学的な議論がほとんどできなかったが,気液二相流れや等分配問題など流体的な課題も多く残されている.本稿が,燃料電池内の現象を検討していただく一助になれば幸いである.