流れ 2010年9月号 目次
― 特集テーマ: 環境流体 ―
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ラピュタ計画 ―海洋砂漠を海洋深層水で緑化する-
円山重直 |
食料増産と海洋の生物生産能力
世界人口の増加にともない食料やエネルギー資源の確保が急務である.地上の食物生産能力は限界に近づいており,急速な供給増大は難しいと考えられている.その中で,地球表面の7割を占める海洋利用に期待がかけられている.環境に負荷を与えないで食料生産を増大させるには,海洋そのものの生物生産能力を増大させる必要がある.つまり,太陽光が浸透する海洋表層域を肥沃化し,そこにおける植物プランクトン生産を増大させ,動物プランクトンから大型魚までの食物連鎖を増大させることが重要である.また,食料だけでなくバイオマスエネルギーとなる大型海藻の育成にも海洋表層の富栄養化は重要である.
Fig. 1 Distribution of mean Chlorophyll a concentration in the ocean
measured by a satellite sensors(1).
図1は,海表層の生物生産性を示すクロロフィルaの濃度分布を人工衛星で計測したものである(1).海洋の大部分は表層の栄養塩が乏しく生物生産性の低い海洋砂漠と言われる領域である.ハワイなどの太平洋中緯度の海はきれいだが,それはプランクトンなどの生物が少ないことを意味する.海洋砂漠は地球温暖化と共に年々広がってきているという報告もある (2).
ストンメルの永久塩泉による海洋深層水汲み上げ
海洋を肥沃化するために,栄養塩に富む海洋深層水を表層に汲み上げることが考えられる.ここでいう海洋深層水とは,太陽光が到達しない水深200 mより深い深度の海水である.これまで,種々の人工的な海洋深層水汲み上げ技術の研究がなされてきた(3)-(5).膨大な量の海洋深層水を汲み上げるには,自然エネルギーを利用して,深層水を汲み上げ,かつ,その海洋深層水の温度を上げて海洋表層に滞留させる技術が必要となる.また,波浪や嵐による機器の損傷を考えると巨大な海上構造物を長期間維持することは,経済的に成り立たない可能性が高いので,機器等の稼動部が少なく設置コストや維持コストも低いものが望まれる.
ストンメルらは,管外の暖かい海水から熱を受けて管内の低塩分の海洋深層水を温め,その浮力によって海洋深層水を汲み上げることを1956年に提案した(6).この永久塩泉の原理を利用することによって,海洋の温度差と塩分差だけで海洋深層水を汲み上げることが可能である.この原理を図2に示す.
Fig. 2 Principle of perpetual salt fountain proposed by Stommmel et al. (6).
太平洋中緯度域では,表層に比べて塩分の低い塩分極小層がある.この海域では密度成層が強く下層からの栄養塩供給が少なく,生物生産性が低い原因となっている.ここにパイプを挿入すると,冷たい海洋深層水が外部の海水で加熱され軽くなることによって自動的に汲み上げられる.この作用は,海洋の温度分布と塩分分布が維持される限り永遠に続く.このとき,管内は外部の圧力と平衡状態にあるので,使用するパイプには応力がかからない.そのために薄いプラスチック膜のパイプでも十分である.パイプで暖められた海洋深層水は加熱されているので,表層域に放出後に再び沈降することはない.
ラピュタプロジェクト
図1に示すように,沖の鳥島やマリアナ海溝などがある海域は,表層の栄養塩が極端に少なく海洋の生物生産性が低いので海洋砂漠と呼ばれている.栄養塩の豊富な海洋深層水を太陽光が届く表層に大規模に汲み上げることが出来れば,海洋砂漠に生物生産性の高い海洋の森または牧場を作ることが可能であろう.
Fig. 3 Concept of Laputa Project; draw up the nutrient-rich deep sea water
to the photic region
and cultivate phytoplankton using a large number of
vertical floating pipes(7).
図3は,多数のパイプを海洋に展開して海洋砂漠に海洋牧場を作る概念図を示している(7).このような設備を海中に展開することによって,栄養塩が多い海域を局所的に実現し,バイオマス生産や食用魚の養殖が可能となる.この海域では,植物プランクトンの生産性が増大しているので,地球全体の海洋の生物生産に負荷を与えない利点がある.また,パイプ内に鉄分を溶かし出す物質を設置することによって,海洋の生物生産に不足している鉄イオンを海洋深層水中に供給し,生物生産をいっそう促進することも可能である.
海域にもよるが,パイプの長さは300~1000 mであり,パイプ出口は海面下10~50 mに設置する.海面にはブイのみが浮遊しているので,台風や波浪などによる海上構造物の破壊も最小限にできる.この構想の実現には,図3のようなパイプを大量に広範囲に展開する必要があるが,日本が独自技術として発展させた養殖イカダや延縄漁業の技術が大量のパイプ展開と維持に応用可能である.
著者らは,スウィフトの小説「ガリバー旅行記」に登場する飛行する浮島「ラピュタ (Laputa)」を海中に置き換えて,本プロジェクトをラピュタ計画と称している.ガリバー旅行記のラピュタは要塞都市であったが,我々のラピュタは海洋砂漠に浮遊する緑の浮き島である.
永久塩泉の実験的検証
ストンメルは,永久塩泉の実証を行おうとしたが湧昇速度が波浪などの動きに比べて極端に小さいことから実証実験には成功しなかった.著者らのグループは,実験装置をマリアナ海溝海域に設置し,2002年に世界で初めて海洋深層水の湧昇速度の測定に成功した(7).
海洋実験は2002年の8月に,東京大学の学術研究船白鳳丸(現在は海洋研究開発機構の所属)航海中に,マリアナ海溝付近で行なわれた.実験装置の概要を図4に示す.流速測定のため,管内で放出したトレーサーの濃度変化を測定したデータと,トレーサーの移流拡散の数値シミュレーションとの比較により,流速を算出した(7).2004年の海洋実験においてより詳細な流速計測が実施され,1日あたり43トンの海洋深層水湧昇量が測定された(8).2005年および2009年にも同様な海洋実験が実施され,衛星からのクロロフィル増加のモニターも実施された.
Fig. 4 Schematics of experimental apparatus and deployment of a Laputa pipe in the ocean.
海洋深層水湧昇のメカニズムと熱流動
永久塩泉は,低塩分の海洋深層水が上層の比較的高温の海水で加熱上昇する自然対流である.管内修正レイリー数の大小によって管内の自然対流はポアズイユ型の流速分布をもつ発達流とM字型速度分布を有する未発達流となる(9).本ケースは,直径30 cm,長さ約300 mでアスペクト比1000のパイプであるが,自然対流は依然未発達流であることが数値シミュレーションで明らかになっている(10,11).
また,パイプの中間領域で大規模な逆流が存在し(11),有光層における海洋深層水の滞留時間が増大することによって,植物プランクトンがパイプ内で発生すると考えられている.これによって,周囲海域に比べて千倍程度大きなクロロフィル濃度がパイプ出口の深層水で計測されている.
さらに,パイプ構造物の金属製リングの凹凸と波動によるパイプ振動によって,見かけの乱流拡散係数が分子拡散係数の104倍程度の大きさになる(12).
図5は,マリアナ海溝での実験条件を模擬し,LESモデルを導入した海洋深層水の拡散のシミュレーションである(13).汲み上げられた深層水は,周囲の海水に比べて若干低い温度なので,管出口から若干の沈み込みも推定されている.
Fig. 5 Diffusion of upwelling deep seawater in the vicinity of the pipe exit.
今後の展開
図3に示すラピュタプロジェクトは海洋浮遊型の海洋深層水湧昇を考えていた.このコンセプトは,固定型の海洋深層水汲み上げにも適用できる.現在,図6に示すように,沖ノ鳥島海域で固定型のラピュタパイプを水中魚礁と組み合わせて設置する研究が進められている.
Fig 6. Outline of Okino-Torishima Laputa project.
沖ノ鳥島海域は,海洋深層水の栄養塩濃度が高く,表層のクロロフィル濃度が低いことから,ラピュタプロジェクト実施の好適地である.海底に設置されたアンカーに固定されたラピュタパイプは海流によって沈み込みが発生し,パイプ出口が有光層以深に沈み込む可能性がある.そこで,流線型断面のパイプを設置すると上記のパイプ沈み込みが発生しにくいことがわかった(14).
参考文献