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流れ 2019年2月号 目次

― 特集テーマ:JSME年次大会特集 ―

  1. 巻頭言
    (本澤,黒沢)
  2. バイオミメティクスで流れを掴む技術の開発
    窪田 佳寛(東洋大学),望月 修(東洋大学)
  3. プラズマアクチュエータ研究会 ~5年間の活動と今後の展望~
    瀬川 武彦(産業技術総合研究所),深潟 康二(慶應義塾大学),松野 隆(鳥取大学),野々村 拓(東北大学),大西 直文(東北大学)
  4. 効率的なトライ&エラーによる流れ制御の研究
    石川 仁(東京理科大学)
  5. コアンダノズルによる遷音速、超音速不足膨張噴流のベクトル制御
    社河内 敏彦(三重大学)
  6. 主流と干渉する噴流による境界層能動制御
    長谷川 裕晃(宇都宮大学)
  7. 多機能OCTによる毛細血管血流速マイクロ断層可視化法
    佐伯 壮一(大阪市立大学),古川 大介(大阪市立大学),伊藤 高文(東光高岳),西野 佳昭(東光高岳)
  8. 多機能OCT によるスキンメカニクス診断への応用 ~皮膚抹消血管構造の可視化~
    原 祐輔(資生堂グローバルイノベーションセンター),佐伯 壮一(大阪市立大学)

 

バイオミメティクスで流れを掴む技術の開発


窪田 佳寛
東洋大学


望月修
東洋大学

 

1.はじめに -設計理念-

 カヌーおよびカヤックのスラローム競技のトップにいるのはヨーロッパの選手たち、その中でも目立つのはドイツ、ハンガリー、イギリス、チェコ、スロバキアである。国を挙げての選手の強化体制、人工コースがありいつでも同じ条件で練習できる環境、子供の頃から慣れ親しむ層の厚さなどが強い選手を生む要因と考えられる。過酷な練習に耐えられる心身の強さももちろんあるが、それは日本人選手にとっても同じである。したがって、日本選手が短期間で結果を出すには、圧倒的に歴史的積み上げが足りないので技術でそれを補うことを考えた。東京で開催されるオリンピックは日本の技術をアピールする良い機会であることから、まず最初に我々のプロジェクトでは、「日本の技術の根底にあるものはなにか?」ということを議論した。その結果、自然を克服する西洋思想に対して、日本では自然と融合することが基本的思想だということに行き着いた。つまり、西洋科学では流れの抵抗を抑える船艇の設計が基本であるのに対して、日本的には一寸法師のお椀の舟や上流から流れてきた桃太郎が入った大きな桃のように、川の流れに乗って移動する、いわゆる流れに委ねること、すなわち流れから受ける力を利用する設計を基本とした。このために、川の流れに生きる生物、例えば、マスやサケなどの力強い泳ぎをする魚、水中の魚をダイビングで素早く捉えるカワセミなどの機能を設計に盛り込むことを考えた。つまり生物の機能を工学に取り入れる考え方であるバイオミメティクスを使うのである。また、日本人の体型にあった座席とし、パドルの操作をしやすい体の動きを妨げないように、コクピット内は日本人に合うように人間工学的に設計した。これらを基に作り上げたカヌーを実戦に即するよう河川のコースや海外の人工コースで試験走行し、選手の意見を集め、修正し再設計し、絞り込んでいった。

2.開発過程

 東京オリンピックにおけるカヌースラローム競技が2020年7月26日(日)〜31日(金)の6日間、葛西臨海公園の隣接地に建設されるカヌー・スラロームセンターで行われる。その日が本番であるから、これから逆算して、表1のようなスケジュールでオリンピック用カヌーの製作をしている。

表1 開発スケジュール

カヌー

実施

2016後半

概念模型

概念から模型製作

2017前半

コンセプト艇

概念模型からコンセプト艇設計、河川での試験

2017後半

実験艇

実験艇設計、シミュレーション、実験・製作

2018前半

実験艇→試験艇機

実験艇の人工コースでの試験→試験艇設計

2018後半

試験艇→試験艇改

河川での試験→試験艇チューニング

2019前半

実戦艇製作

試験艇改の人工水路での試験→実戦艇設計

2019後半

実戦艇

河川での実戦テスト・チューニング

2020/1-7

実戦艇

搭乗選手による実戦練習

2020/7

実戦艇最終整備

実戦艇→オリンピック仕様艇へのドレスアップ

2020/7/26-31

オリンピック仕様艇

スラローム競技

 東欧で作られている従来艇が流体工学に則った設計となっているかどうかは定かではないが、少なくとも流線型のように見える。つまり進行方向に対して形状抵抗が小さくなっていると考えられる。艇は、選手のパドリングで進むので常識的に艇は流線型で抵抗が小さいほうが有利であることは流体工学を知らなくてもそのように考えるであろう。しかし、流れによる力を利用するとなると、流線型では都合が悪いことがある。流れによる抵抗が小さいのであるから、流れの中に艇があっても流れは何もなかったかのように過ぎてしまうのである。たとえば、スタート時を考えてみると、加速して流れに乗ることになるが、選手は一生懸命漕いで加速する必要がある。しかし、もし流れによる抵抗がかかるとすると、漕がなくても水流がその速度まで加速してくれるのである。このためには艇の後方から来る流れに対しては抵抗が大きく、前進する際には、つまり前方から来る流れに対しては抵抗が小さくなるような形状であれば、都合が良いことになる。したがって、流れの方向によって機能が異なる艇を設計することが、従来艇にはない我々独自のコンセプトとなる。

  スラロームコースでは、緑と白で色付けされた2本のポールでできたゲート(ダウンゲート)を上流から下流に通過する動作と、赤と白で色付けされたゲート(アップゲート)を下流側から上流側に通過する動作が要求される。アップゲートを通過し終わったら下流に向かねばならないので、艇の船首部分を上げ船尾部分を水中に入れて選手座席部分の底面を中心に回転を行う。したがって、水中にある船尾には回転方向に対する流れの抵抗が作用することになる。左右どちらの回転方向に対しても抵抗を小さくするために、それらの方向から見た投影面積が小さくなるよう船尾は薄くする必要がある。しかしあまり薄くすると、回転動作から艇を水平に戻す際の船尾側の浮力の上昇効果を削ぐことになる。そこで、船尾先端側は薄くして回転モーメントを小さくし回転特性を良くし、さらに座席付近の船尾側は浮力を確保するという形状を探す必要がある。

  回転動作が終了し本流に船首部分が入ったらすぐに加速を得られるようにするために、船首部分には流れに引っ掛けるフックの役目を持たせることにした。前方から引っ張られる方式だと艇の方向が安定して流れの方向と同じになるという利点もある。また、船首部分の形状として、水面への突入抵抗を減らすべく、カワセミのクチバシ形状の特性を取り入れ、波に対する突入抵抗を減らす工夫も施した。

  以上のようなコンセプトでまずコンセプト艇を2016年後半から2017年前半にかけて設計・製作を行った。静水実験で艇の操作性や加速性に関して試験を行い、また通常の競技に使われる多摩川上流において、流水での試験を行い性能の評価を行った。その結果、加速して流れに素早く乗る性能および回転性能に関しては良い評価であったが、静止状態から加速する際は船底の丸み部分による形状抵抗が大きいため、大きな力が必要となり不利であるという評価であった。これらを踏まえ、1/20モデルを3Dプリンターで作り、実験室にて水路実験をおこない、抵抗値計測と船底における流れの可視化実験を行った。また、数値シミュレーションにより、我々が望む、流れの方向によって抵抗が異なる形状を模索した。それらの研究結果をもとに、2017年後半にかけて実験艇 を設計・製作した。これを2018年2月にシドニーにある人工水路に持ち込み、試験をおこなった。加速性能、回転特性、操作性に関しては良い評価となったが、選手の体が波をかぶって、それが抵抗となるという、艇の抵抗ではなく選手の体が抵抗となるという不測のことが問題となった。船首部分の波への突入抵抗が小さくなるように設計したことが、かえって選手の体に波が当たる結果を招いてしまったのである。また、前後の浮力バランスを取り、艇が水に浮かべた時ほぼ水平になるように設計したため、実は選手にとって艇の船首部分が下がっているように感じ違和感があるという選手からの評価であった。また、回転動作に入る際に船底が丸みを帯びているためにきっかけが得られにくいという意見もあった。これらの問題点を検討した結果、2018年前半にそれらを解決すべく艇船首部分の波との干渉を見直し、また、回転のきっかけを生む工夫などを取り入れ設計し直し、1/10模型を製作し水路実験、数値シミュレーションによって性能の確認をおこなった。これと同時にコクピット内の座席部分も日本人選手に合わせるべく、座席の型取り・製作を行った。また、座席と選手のウェアとの滑りをなくしてほしいという選手からの要望も取り入れたものとした。これらを総合的に組み合わせ、2018年10月にほぼ完成形の試験艇が出来上がった(図1)。艇の表面の模様には、写真やムービーを取られたとしても詳細な形がわからなくなるような工夫として、カモフラージュの役割をもたせてある。これもいわゆる擬態を表す「mimicry」が語源のバイオミメティクスを取り入れたものである。特に底面の形状は他の艇にはない特徴を持っていてオリンピック直前までは秘密に伏せておきたい形状であるので、特許取得もなされてはいるが底面にもカモフラージュの模様が施されている。


図1 試験艇「水走(MITSUHA)」

3.今後

 試験艇による河川試験から回転性能に関してすでにチューニングすべき点があがっているので、それを改善した試験艇改を現在作っている。これを2月にシドニーの人工水路に持ち込み実戦での性能を調べる予定である。この時点で良い評価であればこの試験艇改がもとになって、実戦艇を製作、選手へ提供することになる。もしさらに改善点があればそれを取り入れたもので、実戦艇を作ることになる。これを使って選手には練習してもらい、東京オリンピックで活躍してもらえるよう調整を繰り返していくことになる。これで我々が想定している競技用カヌーの設計方針が従来艇をしのぎ、これが日本の考え方をもとにした技術として新たな扉を開くきっかけとなることを切望している。

謝辞

 本取り組みは,東洋大学オリンピック・パラリンピック研究助成制度と日本財団の助成金を受け進めてきた。ここに感謝の意を表す。

更新日:2019.2.22