流れ 2023年2月号 目次
― 特集テーマ:流体工学部門講演会 2月号 ―
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文化財建造物の熊本地震からの復旧‐熊本城,熊大の煉瓦造建築の被災・修理,新たな価値の発見‐
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1.はじめに
熊本は,2016年4月14日,および16日の2度にわたって最大震度7の大地震に襲われた.熊本地震である.この地震で,熊本の文化財建造物の多くが被災した.最初の前震にはなんとか耐えた文化財も,2度目の本震で崩れ落ちた.それから6年半が経過した.結果的に残され復旧成った建物がある.一方で,地震直後に倒壊し失われたもの,所有者が公費解体か,保存かで心が揺れ動き,逡巡した結果,断腸の思いで取り壊しを決断したものもあって,その数は少なくない.
この講演では,前者を中心にどのような努力によって復旧がなったのか.熊本では「創造的復興」というスローガンが掲げられた.単に「元の姿に戻す」のではなく,そこに創造性が加えられ,地震以前を超えてそれ以上のものを生み出そうというものである.それは文化財という,とくに現代人が勝手な創造を加えることを慎むべきとされている建物においてもあって,それ以前とまったく同じではない.再び襲うかもしれない大地震にも耐えるための構造の部分でとくに顕著である.その構造は見た目にも目立って見えることが多い.あまり目立たないように,しかし当初は存在しなかったもので,後から追加した部材であることを明らかに示すような色や形にする必要がある.難しい問題である.
続いて,どうしても救えなかった建造物も忘れずに紹介しておきたい.
2.建造物の被災状況と現状,課題
熊本城(特別史跡・重要文化財)は,被災時の様子がテレビなどで報道されたこともあり,全国から修理のための募金が寄せられた.熊本城は特別史跡に指定されており,さらにそこに立つ宇土櫓等の櫓群は国指定重要文化財となっている.一方,特別史跡の石垣の上に建つ比較的近年に建設された復元建築がある.これらを明確に仕分けしつつ工事を進めなければならない.加藤清正が建てた本物の大天守と小天守は,明治時代まで存在したが明治10年(1877)の西南戦争の際に火災で失われた.その後,天守台だけが残された状態であったが,昭和35年(1960)に藤岡通夫博士の設計によって,鉄筋コンクリート造,一部鉄骨造で復元されたのが現在の大天守・小天守である.したがって,天守台は加藤清正が造った本物で文化財,すなわち他の石垣と共に国指定の特別史跡である.その上の建物は復元されたものであるから文化財ではない.護るべきは天守台ということになる.藤岡博士が復元天守を建てるときもそうであったし,今回熊本地震で天守を復原するときもそうである.鉄筋コンクリート造の天守・小天守は天守台の上にあるようにみえるが,その荷重を天守台にかけてはいけないのである.今回,地震後に天守を観察したところ天守は石垣の内側の位置に深く撃ち込まれた杭に荷重を載せていたが,小天守ではその荷重の一部を小天守台に載せていた.今回は構造を改良して,小天守の荷重はすべて杭にかかるように改められたのである.
図1 被災した熊本城天守・小天守
鉄筋コンクリートの復元建築
熊本城の復旧の道のりは長く,ようやく天守・小天守が完成したというに過ぎない.そのほかの多くの重要文化財櫓群の復旧はこれからなのである.
図2 左:被災した櫓(木造の復元建築) 右:被災した宇土櫓(国指定重要文化財) |
阿蘇神社(国指定重要文化財)やジェーンズ邸(県指定)等の指定文化財については,国や県から修理費の補助が出て,文化財に相応しい修理が施されるから,その点では大きな心配をする必要はない.煉瓦造の熊本大学の重要文化財建造物4棟,第五高等中学校本館(明治22年),同化学実験場(同),同表門(同),熊本高等工業学校機械実験場(明治41年)もそうであった.
図3 被災した木山神宮本殿(当初は未指定。地震後益城町指定史跡)
問題は「未指定文化財」であった.しかしながら,熊本地震では,未指定であっても「日本建築学会の「歴史的建築総目録データベース」に載る歴史的建造物であれば,一定の学術的検討が加えられ価値が明確になったものとして「未指定文化財」として,被災調査の対象とし,部分破壊以上の損傷を受けていれば,県が創設した制度によって修理費の1/2の補助が受けられ,さらに所有者が登録有形文化財への登録に同意するだけで2/3の補助が得られることになった.この制度で多くの未指定文化財が救われた.
3.救えなかった建造物
一方,この修理費の1/3が出せないために失われた未指定文化財も少なくなかった.巨大な木造の神殿があった天理教熊本教務庁(未指定)や,熊本市立必由館高校内の元熊本藩家老であった米田家の旧邸(未指定)等である.前者は熊本県が創設した修理費助成の制度ができる以前に早々と解体されてしまったが,たとえ修理費助成制度ができていても,宗教法人の建築であるために政教分離の点から助成対象にはならなかったとみられる.益城町の木山神宮本殿も未指定の宗教法人の建物であったが,幸せなことに,町は地震後に木山神宮を救うために町史跡の文化財にした.このことによって県の修理費助成制度が使え,めでたく昨年竣工したのである.一方米田家旧邸は,熊本市立の高校にある,熊本市の所有する建物であったため,個人所有の建物のようにわれわれが救うことは難しく,解体され別の建物が建っている.
図4 被災した第五高等中学校本館(国指定重要文化財)
図5 熊本高等工業学校旧機械実験工場(国指定重要文化財)の構造補強案
4.熊本大学の重要文化財建造物
熊本大学の4つの重要文化財は,単に修理されるだけでなく,熊本地震と同程度の地震に再び見舞われても,倒壊しない構造補強が行われた.煉瓦壁の上部から壁に対して縦に穴を穿ち.上からステンレスの棒を挿入し,グラウトを穴とステンレス棒の間に充填する.煉瓦の上に煉瓦を積む,間の横目地にアラミドロッドと呼ばれる化学繊維の棒を埋め込む.といった方法で煉瓦の壁を縦横に固めているが,こういった方法は東日本大震災で被災した煉瓦造の重要文化財建造物シャトーカミヤ(茨城県)の構造補強で採用された方法であった.いわば東日本大震災の現場で施工上の課題点や課題を検討した工法が採用されたのである.,熊本高等工業学校機械実験場では,建物の内部に鉄骨が組まれて,これで壁面を支持している.それまでになかった鉄骨であるから,その塗装の色が問題となった.結果的に屋根や煉瓦の色とは区別される白色に近い色が選択された.また,熊本大学の修理現場には,シャトーカミヤの修理工事に関わった文化財修理技術者が担当として熊大の現場に来られた.幸いであった.4棟は,2022年3月に竣工した.
すでにこの講演の前にご覧になった方もおいでになるかと思いますが,まだご覧になっていない方も講演の後に是非ご覧いただきたいと思っています.