流れの読み物

Home > 流れの読み物 > ニュースレター > 2008年4月号

流れ 2008年4月号 目次

― 特集: 次世代二相流研究 ―

  1. まだ道なかば -船の抵抗とマイクロバブル-
    加藤 洋治(東洋大学)
  2. 気泡流だけに見られる面白いウエイク構造
    村井 祐一(北海道大学)
  3. サブミリスケールの気泡発生制御とその計測
    真田 俊之(静岡大学)
  4. 自由エネルギー拡散界面モデルの二相流数値解析への導入
    高田 尚樹(産業技術総合研究所)
  5. マイクロチャネル積層型熱交換器における熱交換特性と微細管内の気液二相流動現象
    藤原 暁子(筑波大学)
  6. オランダ トゥウェンテ大学滞在記
    杉山 和靖(東京大学)
  7. バブルリングの形成過程の観察(流れの夢コンテストに参加して)
    杉本 康弘(金沢工業大学)
  8. 編集後記(牛島,深潟,北川)

 

オランダ トゥウェンテ大学滞在記


杉山 和靖
東京大学

1. はじめに

 学生時代,気液二相流の勉強を始めた際,まず,理論構築の先駆者としてvan Wijngaarden教授が重要人物であることを知った.彼の革新的な発想の意義を理解できるようになるうちに,彼が所属するオランダTwente大学(1)に対して,自分とは無縁の,理想の大学像を思い描いていた.その理想の場所に2年半も滞在するとは,当時,思いもよらなかった.

 学位取得後,私は「乱流制御による新機能熱流体システムの創出」プロジェクトに参加することができ,マイクロバブル添加による摩擦抵抗低減機構を解明するため,海上技術安全研究所で数値的研究に従事した.プロジェクト終了に際し,次の職を考えていたところ,東京大学の松本洋一郎教授から,Lohse教授を紹介していただいた.数年前にvan Wijngaarden教授は退官し,彼のグループのchairholderはLohse教授に引き継がれていた.打診してみたところ,偶然,彼のグループでは,同様のテーマの研究を始めたところであり,数値解析の人材を探しているとのことであった.縁あって,2005年4月からポスドクとしてTwente大に滞在することが現実となった.

2. Enschede ~ガイドブックに載っていない町~

 Twente大学の所在地であるEnschede(エンスヘデ)は,ドイツとの国境に接するオランダ北東部Overijssel(オーファーライセル)州のTwente地方にある.人口15万人の小さな町である.オランダに渡る前,私と妻は,日本でありとあらゆるガイドブックを探したものの,オランダの観光名所は西側に集中しており,結局,Enschedeに関する記事を発見できなかった.当時,TwenteやEnschedeをキーワードとしてネット検索すると,花火倉庫爆発(2)やコンピュータ棟放火(3)といった事故,事件ばかりが目につき,肝心の生活に役立ちそうな情報を得られなかった.

 事前の知識なしに,Schiphol空港からの直行電車でオランダを横断し,終点のEnschedeに向かうことになった.空港から10分も電車で揺られると,建物がまばらとなる.視界の先には山がなく,起伏のない田園風景が広がる.2時間あまりで到着したEnschedeは,のどかな田舎町であった.大学周辺では乳牛が暇そうに草をむしる音をたて,キャンパス内では池のほとりでガチョウが群れ,物怖じせずに自分の縄張りを人間に主張している.しかし,想像以上の僻地ではなかった.近所のスーパーマーケットは品揃えがよく,生活に不自由はなかった.町の中心部では,オランダで一番大きな青空市場が毎週火,土曜日に催され,活気あふれる(写真1).

 オランダ人は,総体的に朗らかで,親切である.勝手がわからず困っていると,必ず誰かに助けてもらえた.特に,Twente大の他にも国際大学があるEnschedeの住民は,外国人研究者への対応に慣れているようである.町では,外国人研究者の妻のための会合がボランティアによって運営されており,妻は毎週のお茶会,オランダ語教室,遠足などを楽しんだ.

 Enschedeは北緯52度に位置する.札幌が北緯43度であることから,厳しい冬を想像してしまうが,冬の気温は東京に比べて2~4度低い程度にすぎない.雨が降ると暖かくなり,東京よりも気温が高くなることもある.ただし,冬場に太陽が顔を出すことはめったになく,鉛色の低い雲に覆われる.北陸育ちの自分にとっては,冬の風景に馴染みがあり,めったに雪が積もらない分,過ごしやすく感じられた.しかし,太平洋側で育った妻や南欧出身の同僚達にとっては,冬の気候に不満の様子であった.実際の気温よりも,陰鬱な空が人を寒く感じさせるのかもしれない.春,夏になると日照時間がめきめきと長くなる.人々は,待ちかねていた外出に適した季節を思い思いに楽しむ.夏至になると22時半まで空が明るい.滞在中には気温が30度を越え,うだるように暑くなる日もあったが,夏場は20度台前半の過ごしやすい日にほぼ占められる.7月をピークとする夏は短く,8月に入ると曇りがちとなる.8月の中盤を過ぎると,気温20度以下の日が続くようになり,長袖の服を取り出すことになる.


写真1 青空市場の様子

3. Twente大学

 Twente大学(1)は1961年に設立された歴史の短い国立大学である.繊維産業都市として栄えたEnschedeは,20世紀中盤,人件費の安いアジアとの競争に敗れ,工場の廃業が相次いだ.大学設立には,衰退した町の復興事業という目的が大きかったらしい.Twente大では,設立当初から応用科学に力を入れ,優秀な人材を国内外から確保してきた.大学院生,研究者の大半は,オランダ国外を出身地とする.また,Twente大は,オランダ国内でキャンパスを有する唯一の大学であり (写真2),その緑豊かな敷地は散策の楽しみを与えてくれる.キャンパス内には,スーパーマーケット,アパートなどもある.ちなみに,私はそのアパートに住むことができた.研究室まで自転車で5分程度の通勤は快適であった.

4.  Physics of Fluids グループ

 私は,Faculty of Science and TechnologyのPhysics Of Fluids (POF) グループに所属した.POFグループでは,乱流,混相流,マイクロ流体,医療応用など,多岐に渡る分野の基礎研究に力を入れている.特に,気泡力学,気液二相流の世界的権威であるvan Wijngaarden名誉教授やProsperetti教授が所属し,その分野では世界でも1, 2を争う高いレベルにある.この点ついては,ホームページ(4)のpublication listから窺い知ることができると思う.グループは大所帯であり,私が到着した当時,教授3名,名誉教授1名,講師4名,秘書1名,技官3名,ポスドク10名,PhD student 19名,修士12名から構成されていた.

(a) Faculty of Applied Science and Technologyの建物 (b) 時計台を模した鳥小屋

 


(c) 学内のアパート
写真2 キャンパス内の様子

 POFグループのchairholderであるLohse教授は,30代中盤からその任を務め,大所帯の研究室を統括する上で,高いリーダーシップを遺憾なく発揮している.現在,まだ40代前半であるLohse教授は,情熱的な研究者として知られ,内外から高い評価を得ている.2005年には,ソノルミネセンスや熱対流乱流などの研究功績が称えられ,Spinoza Prize(5) (オランダのノーベル賞に相当) を受賞した.現在,Journal of Fluid Mechanicsのassociate editorを務めている.能力の高い研究者であるばかりか,Lohse教授は物腰の柔らかな,気配りに長けた紳士でもある.彼にはいつも勇気づけられ,また,私の妻にまでもいろいろ気遣ってもらい,本当にお世話になった.

 私が滞在していた2年半,同僚のポスドクは全員外国人であった.イタリア,スペイン,中国,ドイツ,ブラジル,フランス,メキシコ,ルーマニアなど,世界各地から博士号を持つ研究者が集まっていた.日本人は私1人のみであり,大学全体でも,私以外の日本人は,把握できた限り4人だけだった.おかげで,英語に対する苦手を克服する必要に,ずっと迫られることとなった.

5. 研究生活

 研究室の集まりとして,POFグループでは,週1回の研究セミナーがある.1回につき,1人のみが研究発表を担当する.発表時間は30分程度であり,非常に活発な議論が交わされる.また,外部研究者の訪問が頻繁であり,月に何度か講演会が催される.

 研究の進捗管理は,上意下達ではなく,学生やポスドクの自主性に任されている.普段の研究は,PhD student,ポスドクどうしが助け合うことで,進められる.指導的意見が必要だったり,研究に進展が見られたりすると,scientific staffに打ち合わせの日時の予約を取る.状況報告する際には,お互いの納得が行くまで,詳細を確認しながら意見を交わすことになる.1枚の図に対して,その解釈,考察をめぐって,何時間も白熱した議論を繰り広げることもしばしばであった.Lohse教授の口癖は「very good」である.研究がうまくいっていないと思い込み,悩んでいるときに,その言葉を聞くと,大いに励みになった.

 修士課程の学生に対しては,日本よりも自主自律が求められているようである.特に在籍期間が決まっているわけではなく,論文完成時が修了の時期であり,それを自ら判断しなくてはならない.日本と同じように,論文を提出し,口述試験を経て学位取得となる.しかし,特定の時期にまとめて修士を送り出す日本とは異なり,個人毎の研究終了の都合に合わせて公聴会が開かれる.多くは2年程度で修了するが,半年強で済む者もいれば,3年以上かかる者もいる.修士取得者の多くは博士課程に進む.

 修士と比べると,博士の審査は典礼的な意味合いが強いようであり,決められた様式に則り公聴会が執り行われる.公聴会の流れを説明すると,まず,正装した博士候補者が15分程度で論文の要旨を聴衆に発表する.その後,ハリーポッターのような黒いガウンを身につけた審査委員が8名入場し,登壇する.主査が口述試験の開始を宣言し,質疑応答が始まる.審査委員は事前に質問事項を示しており,候補者は準備した回答を述べることになる.質疑応答が始まってから丁度60分経過すると,身の丈程度の長い杖を持った別の黒ガウンの人が入場し,杖で床を叩く.その瞬間,討論の最中であっても,試験は強制的に終了となる.その後,審査委員は別室で合否を判定する.めでたく合格となると,主査がお祝いのコメントを読み上げ,学位記を授与する.最後に,審査委員と新博士が降壇し,一緒に退場する.聴衆は起立し,それを見送る.

 当初,世界的権威のscientific staffや,自信に満ちた理学系のポスドクに囲まれ,「場違いな所に来たのかも」と萎縮しそうになった.しかし,あまりの居心地の良さに,卑屈な発想はすぐに吹き飛んでしまった.具体的な良さとして,まず,時間的に余裕があり研究に集中できること,そして,高い研究の自由度が与えられていることが挙げられる.

 オランダは,世界の中で,ヨーロッパ諸国と比べても,労働時間が短いことで有名である.そうなった背景には,個人の労働時間を減らし,ワークシェアすることで,失業率を抑えるという政策的な理由を見出すことができる.しかし,長時間にわたって努力する姿勢を見せるよりも,時間内に仕事を完成することが重要だという価値観の強さが,日本人の自分には大きな理由に思える.研究時間帯は割と柔軟であるが,典型的なオランダ人は,9時ころに研究を始め,16時を過ぎると帰り支度を始め,17時には帰宅する.その間に,10時半,15時のコーヒータイムをたっぷりとくつろぎ,会話に夢中となる.オランダ流の昼食は,例えばパンとチーズのみであり,短時間で済まされるものの,仕事に費やされる合計時間は,日本よりも圧倒的に短い.外国人研究者には,もっと長い時間をかけて仕事する人もいるが,19時頃には,皆,帰宅する.ただし,短い時間ながらも,皆,非常に集中して研究を行うため,きっちりと成果を生み出している.研究に没頭できる環境の確保を優先すること,また,そのための努力を暗黙の了解のうちに払うことが,オランダにおける自然科学の研究に対する一貫した態度であり,文化なのだと実感した.

 時間的余裕に関しては,さらに,長期休暇に躊躇がないことも注目に値する.上の立場の人ほど休暇取得に積極的である.特に,夏季は,2月間も休暇をとる人もおり,7~9月の大学内は閑散とする.他にも,クリスマス,イースターはもちろん,日本のゴールデンウィークと同時期には,チューリップウィークと呼ばれるオランダならではのまとまった休暇の時期がある.私も,妻と一緒にヨーロッパ諸国の観光地巡りをしたり,同僚の実家に遊びに行って,本場のイタリア料理をご馳走になったり,ボートに乗せてもらったりと,長期休暇の恩恵に授かった.研究から離れることで,客観的に自分を見つめなおす機会があるのは,研究に対するモチベーションを保つ上で有意義であり,必要不可欠とのことである.大いにリフレッシュできた私は,その通りだと納得させられた.

 私の研究の主な課題は,気泡流の数値計算であったが,それ以外の研究についても容認され,高い自由度が与えられていた.自由度というよりも,仲間どうしの対話を通じて,お互いの得意分野を活用できる研究テーマを創出することが,暗黙のうちに推奨されている,と言う方が的確であるかもしれない.私にも,短期間でまとめられるような研究テーマをポスドクどうしで模索し,共同研究を実施する機会が何度かあった.その結果,Rayleigh-Benard対流やマイクロ流体の解析にも携わり,成果を発表することができた.研究の視野を広げることができたばかりでなく,若い仲間と切磋琢磨する過程で多くのことを学んだ.また,異なる分野の研究者と知り合いになることは,自分にとって,新たなよい刺激となった.

6. おわりに

 滞在記として最も重要なことは,今後,海外留学を検討する方々の参考になること,あるいは,役に立つことを何か提示することだと思う.しかし,オランダ滞在中,研究,言葉,習慣に悩み,必死だった私にとって,そういうことを思いめぐらす余裕はなかった.(帰国後に何か書くように打診されるという想定もなかった.)身をもって経験したことの中から強いて助言めいたことを挙げるとすれば,ことわざ「論より証拠」の文字通りの意味である.ここで言う「証拠」とは,実験や計算のデータだけではなく,客観的な価値観や判断基準という意味もあると捉えていただきたい.もちろん,研究において「論」が「証拠」と同じように重要であることは承知しているが,ここで伝えたいのは,意見を主張する際の威力についてである.

 オランダで出会った人は,皆,論理的で,口達者であった.初めて研究発表するような人であっても,理路整然と話を進め,見事であった.研究者以外の町の人も,もれなく,実に筋の通った話をするのを聞くと,論理的思考が浸透しているのは,教育,訓練の成果ばかりでなく,習慣,文化の影響も大きいのだと思い至らされる.留学中には,そのような習慣,文化の中で成長し,鍛えぬかれた研究者(頭の回転が速く,論理的で,しかも,自信に満ち溢れている)としばしば論争する必要に迫られ,ときには,意見の対立する場面に何度か遭遇した.私の場合,自分の主張の立場を誤解のないように伝え,相手を納得させる上で本当に役に立つと実感したのは,日本で身につけていった力学や数学の基礎知識であった.教科書や論文の説明や数式を1つ1つ追い,自分の知識として吸収していく地道な作業の結果が,客観的な価値観,判断基準となり,有意義な議論をする上で強みになるのだと,今になって痛感している.

 今回の留学先を薦めてくださった松本洋一郎先生に感謝申し上げます.最後に,今回,体験記執筆の機会をいただき,光栄に思っております.ニュースレター担当委員の皆様にお礼申し上げます.

文 献

(1) http://www.utwente.nl/
(2) http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/747566.stm
(3) http://www.debian.org/News/2002/20021122.en.html
(4) http://pof.tnw.utwente.nl/
(5) http://www.nwo.nl/nwohome.nsf/pages/NWOP_6CYJ9W_Eng
更新日:2008.4.1