流れ 2008年9月号 目次
― 特別寄稿:「紫綬褒章受章に思う―私の歩んだ流れ研究の道」 ― ― 特集テーマ:「高クヌッセン数流れ(希薄気体流れからマイクロ気体流れまで)」 ―
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分子気体力学効果を利用した微小機械の運動
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1.緒論
近年,半導体微細加工技術を応用展開したマイクロマシニング(微細加工)技術を用いて,体格がミリメータ以下の微小な機械システム(Micro Electro Mechanical System-MEMS)が開発されている.1990年代初めに,日米欧の各国はマイクロマシン技術あるいはMEMSを次世代重要技術として注目し始めた.日本では,通商産業省(現経済産業省)が1991年度から研究開発プロジェクトを開始するなど,産・学・官で研究開発が活発に進められてきた.つまり大規模な工場で,巨大な装置を使って,各種の産業製品を生産したかつての産業革命から,あらゆる機械装置を極小にしていくことで,省エネルギ,高機能化,また技術のブレークスルーを実現する時代へと移行する基盤になる技術といえる.そこで社会的ニーズが高く,微小な機械が必要とされる,プラント施設用メンテナンス,微小機械の製作を行うマイクロファクトリシステム,医療分野の微小なメカトロニクスの試作システムが研究開発された[1].現段階では,プリンタヘッドや自動車用センサ以外,あまり普及していない,近い将来,実現が期待される技術としては,RF-MEMS(携帯電話),光MEMS(光通信用の部品),サンセMEMS(自動車),μTAS(合成化学,バイオ技術)がある. しかし,これらのマイクロマシン技術はそのスケールの微小化に伴う問題点がある.一般的に機械を微小化すると,寸法の3乗に比例する重力や慣性など体積の効果が相対的に弱くなり,寸法の2乗に比例する摩擦や表面張力など面積の効果の影響が強くなる.よって,特に動力源となるアクチュエータなどは既存の複雑な機構をそのまま微小化したのでは効率が非常に悪く,全く動作しない可能性もある.そのためマイクロマシンを動かすために新たな原理,構造のアクチュエータの開発が必要となる.またそのエネルギ供給法に関しても内部もしくは外部供給が考えられるが,有線による外部供給の場合,リード線がマイクロマシンの運動そのものを制限してしまう可能性がある.バッテリなどを内蔵する方法も重量の問題が生じることが明らかであるため,外部からワイヤレスで供給する方法がマイクマシンへのエネルギ供給法としてより適していると言える.
2.レ-ザ光マイクロアクチュエ-タの運動原理、構造とその特性
マイクロマシン開発における重要課題の一つにエネルギを機械運動に変換する動力源(アクチュエ-タ)の問題がある.非接触及び配線なしの微小機械へのエネルギ供給法の確立を目指し筆者らは,光をエネルギ源とし,光エネルギを固体表面の温度上昇に一度変換させた後,分子気体力学効果を用いて機械的な回転エネルギに変換する機構を利用した微小流体機械の一種と考えられるレ-ザ光マイクロアクチュエ-タ(Micro Actuator Induced by Laser;以下,略してMAIL)を提案した[2].このような光の照射による回転現象については,Crookes[3]などにより提案されて以来,Einstein[4],Epstein[5]などにより研究され,Kennard[6]により纏められたが不明な点が多かった.MAILは平板翼からなる小型ロ-タを真空チャンバ内に設置し,チャンバ外部よりエネルギ源である光を照射する構造になっている.各翼の片面に光の放射エネルギを吸収しやすいように,カーボンブラックパウダーをコ-ティングしている.このロ-タを減圧した真空チャンバ内に設置しレ-ザ光を照射すると翼表裏に温度差が生じ,それが分子気体環境下では低温度から高温面に向う翼端を越える巨視的流れを誘起し,その反作用としてカ-ボン面(高温度面)を押す方向に回転力を得ることが出来る.これを分子気体力学効果と呼ぶ[2] [7] [8].簡単な構造,非接触のエネルギ供給,そしてアクチュエ-タスケ-ルが小さい場合には大きな減圧の必要がないなどの点から,マイクロマシンのアクチュエ-タに適している[8] [9] [10]と考える.
分子気体環境下での物理現象を取り扱う分子気体力学において重要なパラメータに,クヌッセン数[11](以下,略して,Kn数)がある.本研究では,Kn数を気体の平均自由行程とロ-タ翼一辺の長さとの比と定義した.Kn数が大きいほど希薄度が高い.0.005[m]翼のMAILの場合,回転力が得られるKn数の領域に到達するためには圧力を0.1[torr](約13[Pa])程度まで減圧し,気体の平均自由行程を大きくする必要がある.しかし,仮に常温常圧(20[℃],760[torr])の場合,翼長さが1µmであれば,Kn数は約0.1となり,上記のスケールの場合と同じ分子気体効果が得られることになる.これまでにMAILが最大の回転力を得るのはKn数が0.2程度であり[12] [13],分子気体力学分野における中間流領域で作動していること及び回転数やねじりトルク特性を実験的に明らかにした[14] .さらにDSMC法を用いたロータ周辺の巨視的な速度分布の可視化も行った[15].筆者らはさらにMAILの回転動力発生に重要な翼表裏の温度差向上と高速回転を実現させるため,軸保持機構,ロ-タ材料,レ-ザ出力の違いによるロ-タ回転特性及びロ-タ表面温度の変化についても検討した.
従来の研究において,レーザ光マイクロアクチュエータの回転数と静止トルクが測定されている.これにより静止トルクおよび回転数には最大値が存在することが明らかになっている[14].また,回転部であるロータの保持形態をニードル上にロータを載せるだけのガラスキャップ方式から,上下のフェライト永久磁石で保持する軸制御方式(Fig.1)に変更したことで,ある程度の安定した回転と,設置角度の自由度を可能にした.さらにロータ翼材料が回転に与える影響を調べるために,翼材料にアルミニウム(導体)とガラス(絶縁体)を用いたところ,伝熱性能の低いガラス翼の方が同じ供給エネルギに対して回転性能が良いという結果が得られている.また,従来の厚膜で剥離しやすいカーボンブラックパウダ膜に代わるエネルギ吸収膜としてカーボン蒸着膜や選択吸収膜に関する研究が行われ,エネルギ吸収膜として適した膜厚などが明らかとなっているが,翼基盤への膜の密着性が高く,薄いため,翼表面で発生した熱が裏面に伝わってしまい,回転が生じないという新たな問題が生じた.
Fig.1: Schematic Drawing of Micro Actuator Induced by Laser
2.1 分子気体力学効果
レーザ光マイクロアクチュエータのように,減圧された環境下で片面がカーボンブラックパウダのようなエネルギ吸収膜でコーティングされたガラス平板に光が照射されると,コーティング面を押す向きに力が発生することは古くから知られている[3]. この駆動要因としては以下の2つの分子気体効果が考えられる.1つは分子気体環境下に表裏に温度差のある平板が置かれたとき,高温面付近の分子が平板に衝突,反射する際に受け取る運動量と,低温面付近の分子が衝突,反射する際に受け取る運動量の差によって引き起こされるラジオメトリック力である[3].もう1つは分子気体環境下で温度勾配を持つ固体境界上に誘起される,高温部から低温部に向かって働く熱流力である [16].どちらも分子気体環境下に置かれた表裏に温度差のある固体境界で,高温側が低温側に押される向きに作用する.無次元パラメ-タであるクヌッセン数は,気体の圧力と系の代表長さとの積に反比例することがわかる.したがって圧力が低いときに限らず,系の代表長さが短いとき,つまり微小構造体や微小隙間内の流れ等を取り扱うときにも分子気体効果の影響を考慮する必要性がある.ラジオメトリック力はクヌッセン数が比較的大きい場合,つまり圧力が低く,系の代表長さが短く気体が自由分子流と見なされる場合に発生する.自由分子流とは分子同士の衝突をほとんど考慮に入れない場合を言う.分子気体力学環境下では,温度が一様ではない個体境界上では低温部から高温部へ向かう流れが顕著に見られる,これは熱ほふく流と呼ばれている.通常の大気圧下において,重力などの外力が働いていなければ,温度場が原因になって流れが誘起されることはなく,また気体中の物体が力を受けることもない.しかし,分子気体力学環境下においては温度場によって気体分子の流れが誘起される.
Kn 数が比較的小さい場合,固体境界周辺に温度勾配が形成されている状態において,固体境界上での分子の反射条件を拡散反射と仮定すると,境界上で反射する分子の速度分布は等方的である.そのため反射分の運動量は相殺される.一方,周囲から境界に入射してくる分子に関しては,高温部から入射してくる分子の平均速度の方が低温部から入射してくる分子の平均速度より大きい.したがって,気体分子から固体境界に対しては,分子の入射分の運動量が高温部から低温部向きに与えられる.また気体分子はその逆向きに運動量が与えられ,低温部から高温部向きに流れがおきる.この流れによって境界に入射してくる分子には高温部向きの運動量が付け加わり,運動量輸送を打ち消すように定常流の大きさが決定される.この様に固体境界上に形成された温度勾配によって誘起される気体分子の流れを熱ほふく流という.また,固体境界が気体分子から得る運動量(力)を熱流力という.熱流力に関しては,古くから研究が進められており,Epsteinが円形の薄い羽根をもつラジオメータ(放射計)の羽根に加わる熱流力の解析を行っている.それによると羽根一枚に働く熱流力Fは,熱流力は温度勾配や光の照度,気体の粘度の自乗に比例し,圧力に反比例する.
2.2レ-ザ光マイクロアクチュエ-タの回転数・ねじりトルク特性
これまでの研究により,レーザ光マイクロアクチュエータの回転数および静止トルクには最大値が存在することがわかっている[8].これは前節で述べたラジオメトリック力と熱流力が回転力に大きく作用しているためであると考えられる.分子の平均自由行程がある程度長くなるとラジオメトリック力の影響は大きくなるが,熱流力は逆に小さくなる.一方,平均自由行程がある程度小さくなると熱流力は大きくなるが,ラジオメトリック力は小さくなる.この二つの力が最大限活かせる条件において,ロータに作用するトルクが大きくなる.クヌッセン数と最大トルクの関係を示したFig.2は,この二つの力を最大限に生かせる条件を示しているといえる.具体的には,現在実験を行っている5 [mm]翼のレーザ光マイクロアクチュエータの場合,最大の静止トルクが得られるクヌッセン数に到達するためには圧力を7[Pa](約0.05 [torr])程度まで減圧し,気体の平均自由行程を大きくする必要がある.しかし,仮に常温常圧(20 [℃],0.1 [MPa])において翼長さが0.3 [µm]であれば,クヌッセン数は約0.2となり,現在のスケールの場合と同じ分子気体効果が得られることになる.簡単な構造,非接触のエネルギ供給ができることに加え,アクチュエータスケールが小さい場合には大きな減圧の必要がないないということからも,レーザ光マイクロアクチュエータがマイクロマシンのアクチュエータに適していると考えている.
Fig. 2 Twisted torque of two kinds of Micro Actuator Induced by Laser on Knudsen number
3. マルチタイムスケ-ル問題へのDSMC法の適用
自由分子流からすべり流領域にかけてMAILの特性を推定し性能向上を図るためにDSMC法による性能予測を試みた.しかし10-7~10-9(Nm)オ-ダの回転トルクしかないMAILは,回転数ゼロから定常回転に到達するには102秒オ-ダの時間が必要である.一方,常温状態におけるDSMCタイムステップは、µs時間オ-ダであるため回転開始から定常回転までの回転特性をDSMC法で予測するには,実に108オ-ダ-のタイムステップ数が必要である.そこで計算時間の短縮化効から見ると本課題は、マルチタイムスケ-ルの課題の一つであると考え、筆者らはDSMC法用の予測子修正子法を提案した.その手法はRGD25において発表した[17].本解説ではその概要のみを述べる.提案した予測子修正子法では,3段階の時間スケ-ルを考えた.第一段階はDSMC法で用いられる通常のタイムステップであり、第二段階は巨視的デ-タ収集のための時間スケ-ルで、第三段階はその巨視的デ-タから回転数上昇を予測する方法である.各段階でのステップ数はおよそ102オ-ダ-を採用した.各段階で102オ-ダ-タイムステップを経過すると,その時点で各物理量の予測を行い、修正しながら時刻を進めて定常回転を実現させた.
本手法による計算結果によれば,定常回転に到達するまでの過渡応答領域は実験結果を実現できたと思われるが,定常回転の予測値は実験結果の2倍であった.その原因には、DSMC計算では軸の存在を無視していること,翼表面温度は計算中一定と仮定していることなどが考えられる.さらに改良が必要であろう.2008年7月京都で開催された第26回国際希薄気体力学会議(RGD26))において筆者らは、ロ-タ翼の傾きも考慮した予測子修正子法DSMC計算結果を報告した[18].回転軸に翼が近づくと定常回転数が高くなり, 傾きを有する翼の定常回転数は垂直翼に比べて高いが, 定常回転に近づくまでに長時間必要であることが明らかになった.
4. まとめ
本解説では、ラジオメ-タ-と呼ばれた測定機器をアクチュエ-タへ応用しようと検討してきた研究内容を紹介した.その原理は真空圧力計,機械式レ-ザビ-ム方向変更装置、微小機械エネルギ供給装置、マイクロアクチュエ-タなどへの応用が可能であろう。また、本解説では,時間スケ-ルの非常に異なる分野おけるマルチタイムスケ-ルへの応用計算手法の一つとしてDSMC法の予測子修正子法を紹介した.ご意見をいただけたら光栄です.宇宙開発とともに発展してきた希薄気体力学がさらに大きくその裾野を広げ、分子気体力学としての応用分野は,MEMSと呼ばれるマイクロ・ナノマシンやマイクロラボ,高速読取装置、真空工学などで気体流れが重要となる分野[18]であると期待したい.
参考文献