流れ 2023年11月号 目次
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デジタルツイン数値タービンへの道
山本 悟 |
1. はじめに
私は1980年に東北大学工学部に入学して,当時すでに数値流体力学(Computational Fluid Dynamics, 以降CFD)で先駆的な研究を行っていた大宮司久明先生の研究室に配属になり,博士号を取得して,その後も助手,講師,助教授としてお世話になった.大学院が改組されて航空宇宙工学専攻の助教授に配置換えになり,さらに2004年に情報科学研究科の教授に異動して,今日に至っている.この約40年間,CFDの研究を続けてきたが,その完成形の一つとして,「デジタルツイン数値タービン」を開発するに至った経緯(道)を簡単に紹介する.
2. マルチフィジックスCFD
博士号取得後,助手の時からスタンフォード大学への留学なども経て,極超音速熱化学非平衡,電磁プラズマ,非平衡凝縮など,ナビエ・ストークス方程式で解ける常温・常圧の空気や水だけでなく,付加的な物理化学現象を伴う熱流動を支配する数理モデルとその数値解法を構築する「マルチフィジックスCFD」を研究してきた.その後,2004年に情報科学研究科の教授に着任した際,計算数理科学分野(Mathematical Modeling and Computation)の新設を機に,新たに超臨界流体の数理モデリングも開始した.一方で,それまでやっていた研究は,非平衡凝縮モデリングに一本化した.
3. 数値タービン
2000年後半から,非平衡凝縮モデルをターボ機械の熱流動に応用する研究を開始して,その際に開発したCFDアプリを「数値タービン」と命名した.数値タービンが目論んでいるのは,ガスタービンや蒸気タービンを全周(まるごと)計算することである.現在すでに全周計算している研究グループは結構あるが,他との決定的な違いは,湿り空気や湿り蒸気の非平衡凝縮を考慮して全周計算できるところである.
2010年から,ASMEのTurbo ExpoでSteam Turbine Sessionが開始され,それに乗り遅れないように,三菱重工と共同研究していた蒸気タービン最終段の多段静動翼列を通る非定常湿り蒸気流れの研究成果を毎年発表した.蒸気タービンはタービン低圧段で水蒸気が凝縮する.ただし,この場合の凝縮は無核状態から始まる均一核生成に支配されており,場の圧力と温度が飽和蒸気圧よりもさらに低下して,過冷却の状態になってから瞬間的に始まる非平衡凝縮である.この場合の凝縮開始点はWilson pointと呼ばれる.蒸気タービンの湿り蒸気流れを数値解析するためには,この非平衡凝縮を正確に模擬できる数理モデルの構築が不可欠である.ケンブリッジ大学が主催した非平衡凝縮モデリングワークショップに日本から唯一私が参加して,我々が開発した数理モデルは世界中から参加した13研究機関の計算結果と比較された.その研究成果報告書[1]は,2018年に英国機械学会のJournal of Power and Energyに共著で発表され,その後この論文は2018年最優秀論文賞を受賞した.
4. 電力負荷変動対応ガスタービンへの応用
2020年から東京電力との共同研究により,発電用ガスタービンの遷音速軸流圧縮機多段翼列を通る非定常湿り空気流れの数値解析を開始して,当初から目標としていた全周計算が実現した.
図1は,電力事業連合会が公開している,1日における発電電力の需要供給バランスを表した概略図である[2].太陽光発電が増加した結果,晴天の日中においてはすでに発電出力が電力需要を超えている.現在,超過分の電力を相殺するため,火力発電所のガスタービンが部分負荷状態で出力を減しながら運行されている.具体的には,回転数は定格のままで入口案内羽根(IGV)を調整することで流量を減らしている.
図2には,ガスタービンを起動する際のIGVの開度とその時に圧縮機部分から発生したAcoustic Emission(AE)電圧の計測結果との関係を示す[3].点線で示されたIGVの開度が30度から段階的に徐々に増加して43度に達したときに,異常なAE電圧を検出した.これは圧縮機内で固体が変形して発生したひずみエネルギーを検出している.ガスタービンの部分負荷運転においても,同様のことが起こっている恐れがあり,結果的に圧縮機内部の非定常熱流動にも悪影響を与えていることが懸念される.
図1 発電電力の需要供給バランス[2]
図2 ガスタービン起動時のAE計測[3]
図3に実際に火力発電所で稼働している実機ガスタービンの遷音速圧縮機1.5段+IGVに対して,定格運転と部分負荷運転を想定した条件で全周計算した際に得られた典型的な計算結果を示す[3].翼表面の瞬間圧力(単位Pa)が可視化されており,左図の定格運転では周方向にほぼ安定な圧力場が得られているのに対して,右図の部分負荷運転では周方向に不安定な圧力分布が示されている.計算結果を解析したところ,動翼列の回転速度とほぼ同じ速さで回転する失速セルが発生しており,これにより流動が不安定になり強い圧力変動が生じていることがわかった.この圧力変動の周波数が翼の固有振動モードと一致したりした場合には,共振が発生して翼の破損に繋がる恐れがある.
図3 全周翼表面の瞬間圧力分布 (左:定格運転,右:部分負荷運転) |
5. デジタルツイン数値タービン
2018年度から5年間,文部科学省次世代領域研究開発事業「量子アニーリングアシスト型次世代スーパーコンピューティング基盤の開発」(研究代表 小林広明東北大学教授)で,2つの次世代新規アプリ開発の一つとして,「デジタルツイン数値タービン」の研究を開始した.なお,従来型手法に基づく代表的アプリとして開発しており,量子アニーリングマシンの使用は想定しておらず,東北大学サイバーサイエンスセンター所有のNEC製スーパーコンピュータAOBA(SX-Aurora TSUBASA)の利用が前提である.5年間の研究により,蒸気タービンならびにガスタービンのシミュレーションデータベース(Simulation Data Base, 以下SDB)の構築が完了した.
2016年度から実施された第5期科学技術基本計画[4]の中ではSociety 5.0が提唱され,AI技術を活用してサイバー空間と現実空間を高度に融合させたシステムを構築することにより,持続可能社会の実現を目指す目標が掲げられた.デジタルツインはまさにその中枢となるシステムであり,その名の通り現実空間における実機を仮想空間上で再現する双子に相当する.2018年のASME Turbo Expoでも,Industry 4.0に関する基調講演で,GE,シーメンスなどガスタービンメーカーのデジタルツイン開発が紹介された[5].
次世代アプリ開発の過程でNECとの共同研究により,スーパーコンピュータAOBAを用いて,遷音速圧縮機1.5段全周計算を世界最速の1.3日で完了することに成功した.これまで約9日かかっていた計算が約7分の1にまで短縮された.この研究成果は2021年10月15日付の日本経済新聞をはじめ,他17の新聞やネットメディアで報道された[6].
6. ガスタービン遷音速圧縮機のSDBと自己組織化
ガスタービン遷音速圧縮機の全周計算が1.3日に大幅短縮されたことにより,デジタルツイン数値タービンの実現性が高まった.そこで,起動時や日中の部分負荷運転を想定した様々な条件における数十ケースの全周計算をスーパーコンピュータAOBAにより大規模数値計算した.さらにそれら計算結果から,全周に位置する数百枚すべての翼から時系列圧力データを抽出して,ビックデータからなるSDBを作成した.次に,このSDBから教師なし機械学習により自己組織化マップ(Self-Organizing Map, 以下SOM)を作成した.SOMは高次元のデータ集合を低次元空間へ写像する手法であるが,特に二次元空間へ写像することで,データ分布をマップのように可視化することができる.これにより,データの関係性を視覚的に判断することが可能になる.SOMの実行には,pythonのライブラリであるSomoclu1.7.5を使用した.ここで紹介するSOMは,学習回数20回,マップサイズ20×20に設定した.マップはU-matrix法を用いて彩色した.
図4にSOM構築のプロセスを示す.左図には数十ケースの大規模計算が模式化されており,点線で囲まれたケースが部分負荷運転を想定した計算である.それらから抽出された数百の時系列データから中央図のようなSDBが作成される.さらにSDBは機械学習によって,右図のようにSOMとして1枚のマップに自己組織化される.左図において点線で囲まれたケースが,右図においては明確にクラスタリングされていることがわかる.
たとえば,IGV開度,入口流量,圧力,温度,湿度など想定される異なる作動条件に対して予め数十ケースを全周計算してSOMを作成すれば,設計段階で異常なケースを抽出することができる.本研究の成果は,2023年6月にボストンで開催されたASME Turbo Expoで発表した[7].さらに, 2023年6月30日付で東北大学よりプレスリリースして,日本経済新聞などに報道された[8].
図4 自己組織化マップ(SOM)によるクラスタリング
7. おわりに
デジタルツイン数値タービン開発に至るまでの経緯(道)を簡単に紹介した.発電用ガスタービンの遷音速圧縮機内部における多段翼列全周計算を,スーパーコンピュータAOBAにより約1日強で計算できるようになったおかげで,短時間で大量の全周計算ができるようになり,デジタルツイン数値タービンを実現することができた.この研究開発により,部分負荷運転をはじめ様々な条件で運用されるガスタービンや蒸気タービンに起こり得る深刻な問題を,設計の段階や運用中にでも短期間で事前に予測できることが期待される.本研究の詳細については,研究室ホームページにも紹介している[9].
参考文献
[1] | Jorg Startzmann et al.(including Satoru Yamamoto), Results of the International Wet Steam Modeling Project, Proc. IMechE, Part A, Journal of Power and Energy, (2018-3), 21 pages. https://doi.org/10.1177/0957650918758779 |
[2] | 電気事業連合会ホームページ. https://www.fepc.or.jp/enterprise/jigyou/juyou/ |
[3] | Yasuharu Hagita et al., The Effect of Partial-Load Operation on a Gas Turbine Compressor of an Advanced Combined Cycle Power Plant, Proc. ASME 2022 Turbo Expo, GT2022-80251, (2022-6), 12 pages. https://doi.org/10.1115/GT2022-80251 |
[4] | 第5期科学技術基本計画, (2016). https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/index5.html |
[5] | Keynote & Plenaries, MRO in the light of digitalization, Proc. ASME Turbo Expo 2018, GT2018-77570, 77571, 77638, and 77639, (2018-6). |
[6] | 日本経済新聞電子版 他17件, (2021-10). https://www.caero.mech.tohoku.ac.jp/wordpress/?p=3454 |
[7] | Yasuharu Hagita et al., Self-organization of Unsteady Full-Annulus Flows in A Gas Turbine Compressor under Operating Conditions, ASME 2023 Turbo Expo, GT2023-101937, (2023-6), 11 pages. |
[8] | 日本経済新聞電子版, (2023-6). https://www.nikkei.com/article/DGXZRSP658408_Q3A630C2000000/ |
[9) | 山本・古澤研究室ホームページ https://www.caero.mech.tohoku.ac.jp/ |