流れ 2021年11月号 目次
― 特集テーマ:2021年度年次大会 ―
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低騒音音響風洞で計測できない空力音
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1. まえがき
流体音,特に空力音の解明や低減技術の開発において,低騒音音響風洞を用いた実験により有益な情報や成果を得ることが可能である.低騒音音響風洞は便利な実験ツールであるが,計測部に供試体を設置すると,必ず何らかの空力音を観測できるので,実験が成功したと誤解してしまう場合もあり,留意が必要である.計測部に設置した供試体周りの流動現象が,調査対象である実機の流動現象を適切に模擬できないと,音響風洞で観測した空力音は実機で発生している空力音と異なっているので,発生メカニズムや定量的特性が解明できないことになる.著者は,荏原製作所に在籍した約30年間に音響風洞(単純吹き出し型) (1)を利用して,流体騒音や空力騒音に関連する数多くの実験を行なったが,詳細な発生メカニズムや定量的な特性が解明できない事象(計測できない空力音)を幾つか経験している(2)(3)(4).それらの中から,「風洞実験には適さない気流現象」と「共鳴状態に支配されている空力音現象」の事例を紹介する.
2. 音響風洞計測部の気流暗騒音の推定
音響風洞の性能の一つに,計測部に何も供試体を設置しない状態で気流を流す時に観測される気流暗騒音の静粛性がある.回流式音響風洞の計測部では,送風機発生音を十分に消音できても計測部周囲の様々な気流安定化要素からの空力発生音が観測され(図1参照),それらの合成音として気流暗騒音が観測される.各要素から発生する空力音を定量的に予測できると,静粛性の向上に寄与する因子が把握できるのであるが,各要素から発生する気流音を定量的に解明することが,単純な音響風洞での模擬実験だけでは極めて困難である.「風洞実験には適さない気流現象」に該当する事例である.吹き出し口の断面寸法を変更した実験や模擬床追加の実験から,床付き吹き出し風洞計測部の暗騒音に関する構成音源が定量的に推測できるようになった.また,コレクタ(またはベルマウス)の寸法変化やディフューザ喉部の断面積変化の実験,及び吸音材内貼りディフューザ発生空力音測定などから,図2(1/3オクターブバンドスペクトルで図示)のように開放型計測部(床なし)の暗騒音に関する構成音源が,ある程度定量的に推測できるようになった.但し,コレクタ形状と喉部断面積は回流式風洞の空力性能と発生する空力音に大きく影響するので,限定した形状と喉部断面積のコレクタを備える場合だけ,推測可能である.
一方,自動車用に利用される音響風洞においては,開放型計測部に床面が備わっており,さらに計測部上流のノズル底面に発達してきた境界層を制御する(吸い取る)装置を備える場合が多い.前述の単純吹き出し型無音気流風洞計測部に境界層制御装置付き模擬床を供試体として設置し,諸寸法を変更する実験を行なって,床面境界層制御装置から発生する空力騒音もほぼ定量的に予測することができた.そこで,開放型計測部暗騒音に関する音源構成(図2参照)に,床面付き噴流の発生音と床面境界層制御装置の発生音を加えると,図3に示すようになる.この図には,自動車用低騒音音響風洞で実測した計測部暗騒音を比較用に示した.計測部周辺の各部位から発生する空力音を合成すると図中の点線のような推定スペクトルになり,250 Hzバンドから1.25 kHzバンドの範囲で,実測音スペクトルと異なっており,推定不十分である(5).推定不十分になった原因として,次の2項目を推察しているが,解明には至っていない.
(a)コレクタ側面下部と床面気流との干渉現象(馬蹄渦のような流動)から発生する空力音.
(b)開放型計測部であっても,実機は空間が限定された半開放型計測部であり,噴流とコレクタの相対関係が模擬実験における相対関係と異なる.内部流れを外部流れで模擬することに起因する不確実性がある.
図1 自動車用音響風洞での計測部暗騒音の構成音源
図2 床なし回流風洞での計測部暗騒音の構成音源
図3 床付き計測部暗騒音での構成音源の影響度
3. 共鳴を伴う流体自励音 (音響加振を伴うキャビティ音の例)
空力自励音としてのキャビティ音の特性やメカニズムは定性的に解明されている.溝深さが溝幅の1/2以上である深いキャビティに関しても,自励音が溝空間に共鳴するとより卓越性が強くなると理解されている.しかし実際の機械装置から発生する空力騒音では,共鳴周波数は気流がない場合の溝空間の共鳴周波数とは異なる場合や,流体の自励振動を誘起する溝開口部が同定できない場合がある.これらの未解明点の解決を目的として,より単純な共鳴空間を伴う深いキャビティ音を対象にして,図4に示すような実験を行なった(6).但し,共鳴周波数を連続変化させることが困難であったので,キャビティ底部に音響スピーカを取り付け,キャビティ開口部近傍のせん断流を音響加振する方法を採用した.音響加振の周波数がキャビティの自励音周波数と約5%以上異なっていると,キャビティ音と音響加振した音の両方が観測されるが,図4に示すように5%以内の場合は自励音が音響加振の周波数と一致して変化する.音響加振の周波数とキャビティ開口部の渦移流周波数との関係及び,発生する自励音の音圧レベルとの関係をプロットすると,図5示すようになる.音響加振の強さ(スピーカに入力する増幅器出力W) を大きくすると,加振周波数と一致する渦移流周波数の範囲が広がり,さらに一致している状態では自励音の強さがほぼ一定である.この現象は,音響加振(共鳴音波)が自励音の強さを増幅するのではなく,渦の移流周波数だけに影響することを示している.共鳴音が自励音の渦移流周波数に影響を与えるメカニズムは未解明であり,現在も考察を進めている(7)(8).
図4 キャビティ音の音響加振による周波数制御
図5 音響加振により自励音周波数が制御される範囲
4. あとがき
低騒音音響風洞は便利な実験ツールであるが,計測部に設置した供試体周りの流動現象が,調査対象の実機の流動現象を適切に模擬できないと,流体音の発生メカニズムや定量的特性が解明できない.著者が失敗として経験した,詳細な発生メカニズムや定量的な特性が解明できない事例(計測できない空力音)を紹介した.実機の流体音が内部流れから発生している場合,音響風洞で外部流れによる模擬実験することには限界がある.また,共鳴を伴う自励音現象では,流体の自励振動の詳細なメカニズムが実験だけでは解明困難である.最近は実在流体(非定常圧縮性粘性流体)に関するCFDの技術も十分な信頼性を備えていると推察するので,高性能なCFDを実験解析ツールの一つとして音響風洞と共に利用すれば,報告した未解明事例も解決するであろうと考える.